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2024/03/24 北陸医大教授との思い出 (5)

病理解剖のやり方には完全に定まったものはない。臓器の取り出し方について大きく分けると、まず遺体から諸臓器を一塊にして取り出す方法と、一つ一つの臓器を切除しながら分離して取り出す方法とがあるが、いずれも一長一短である。取り出した臓器は、必要に応じて写真撮影を行ったり、小さく切ったりした後に、ホルマリンに漬ける。それまでの間、臓器が乾燥しないように水に漬ける人もいるが、低張な水に漬けると組織や細胞が破壊されるので、これも一長一短である。生理食塩水に漬けるのが理想的ではあるが、それは経済的に難しいことが多いであろう。

私は病理医になってから、かの教授に病理解剖の技術指導を受けた、ことになっている。ただし、かの教授から具体的な手技の指導や理論的な解説は少なく、いわゆる「みて盗め」方式が中心であったので、良質な教育とはいえない。とりわけ、臓器を遺体から取り出した後の対応は、ひどかった。教授は、諸臓器の写真撮影などを私に命じ、その間に、主たる病変の剖出や観察を学生・研修医・臨床医らとともに行うことが多かった。すなわち、もっとも重要な病変部の観察を教授が行っている間、私は、別の臓器の写真撮影をせねばならなかったのである。私は、その主病巣剖出現場をみることができず、彼らの話す内容を聞きながら他臓器の写真撮影を行っていた。それが終わってから、教授が剖出した病巣を確認し、必要に応じて学生らから状況を聴取したのである。つまり、教授には、私を教育する意思がなかった、ということであろう。

ついでにいえば、教授は感染防護意識も低かった。通常、解剖を行う際には、外科手術と同様のガウンやフェイスシールド等を着用する。これは、遺体がいかなる病原体を有しているかわからないので、我々の身を守るために必要な措置である。ところが教授は、通常の白衣を着るだけで、特に感染予防策を講じないまま、解剖を行っていた。ある時は、患者の血液が飛散し、教授の眼鏡に付着したことがある。数十年前であれば、そういう光景もありふれていたかもしれないが、時代錯誤といえよう。

さらにいえば、危険な行為を強要する事案もあった。強く印象に残っているのは、腎臓への処置である。摘出した腎臓には、通常、割を入れて、断面を観察する。このとき、教授は、腎臓を左手に持ち、右手にナイフを持って、手に持たれた状態の腎臓を切ることを私に要求した。安全を考えるならば、ナイフが進んでいく方向に自分の手があることは望ましくない。腎臓を俎板に置き、その上で切ることが望ましい。そこで私は「これは怖いので、俎板の上で切っても良いでしょうか」などと尋ねたが、教授は「それではキレイに切れないから、手に持って切りなさい」と強く要求した。怖いので俎板を使いたい旨を何度か申し上げたが、ついに容れられなかった。そこで私は、証人も多数いることだし、もし手を切ってしまったら損害賠償を求めて訴訟しよう、と腹を括り、手で持ったままの腎臓を切った。

なお、最初の何例かの解剖を経験した後は、教授は最初と最後 (あるいは中間に少し) だけ解剖室に顔を出すのみとなった。そのため、私は、教授がいない隙に、俎板を使って腎臓を切るようになった。


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