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現代では、大学等における研究成果は、査読つきの論文誌に投稿し発表することが一般的である。質の高い論文誌は質の高い研究を厳選して掲載しているので、そうした質の高い論文誌に自分の書いたものが載ることは、たいへん名誉なことである。また、そのような有名論文誌に何報の論文が掲載されたのか、といった指標を使うことで、研究者としての実績・業績を客観的に評価することができる。論文誌の質の高低は、impact factor によって客観的に評価することができる。すなわち、高い impact factor を与えられている Nature, Science, Cell、あるいは臨床医学でいえば The New England Journal of Medicine などは、質の高い論文誌であるといえる。
と、いうようなことを言う人が、特に医学の分野においては少なくないが、全く的外れである。Impact factor を科学者の業績評価で使うべきではない、さらにいえば論文の価値を被引用数で評価すべきではない、という点については 2017 年に述べたので、ここでは繰り返さない。しかし現時点では、少なくとも北陸医大においては、impact factor などを指標とした業績評価が広く行われているようである。教授選考の過程で具体的にどのような議論がなされているのかは知らぬ。しかし、科学的・医学的な妥当性はともかく査読さえ通ればそれでよい、という程度の低水準な論文をたくさん書いた者が高く評価され、北陸医大では教授になることもできるのではないか。
北陸医大の大学院生として、私は、癌細胞の細胞株を用いて、浸潤能を規定する遺伝子を探索する、という研究をやりかけた。やりかけはしたのだが、結局、私は学術研究と呼べる水準のことをできなかった。私の側にも問題がなかったとまではいわぬが、教員側の指導能力、さらにいえば科学者としての研究遂行能力に、大いに問題があったと考えている。当初私は、ある細胞株を元にして「浸潤性の高い細胞株」を作成し、元の細胞株との間でどのように遺伝子発現の差異があるのかを、RNA マイクロアレイを用いて検討する、という実験を行った。この「浸潤性の高い細胞株」という表現にも問題があるのだが、それについては別の機会に述べよう。RNA マイクロアレイというのは、RNA を含む検体に対し、どのような配列の塩基配列がどの程度含まれているのか、おおまかにいえば、どの遺伝子の転写産物 (mRNA) がどの程度含まれているのかを、網羅的に測定する実験手法である。これにより、元の細胞株に比して、高浸潤株で RNA 量が増加しているような遺伝子がみつかれば、その遺伝子が浸潤性を司っているのではないか、と推定できる、というわけである。しかし RNA マイクロアレイというのは実験誤差が小さくない手法なので、一回の測定を行っただけでは、本当に意味のある結果を得ることは難しい。何回かの測定を繰り返し、統計的に評価することで、はじめて「本当に発現増加していそうな遺伝子」を推定することができる。この統計的な処理には、単に誤差を評価するということだけでなく、正規化 (あるいは規格化) と呼ばれるデータ処理も含まれるが、具体的に「こうすれば良い」という画一的、一般的な手法が存在せず、どうするのがマシであるかという議論が何十年も続けられている。
医学研究者と称する者の中には、統計学や数学はもちろん、生物学もろくに修めていない者が少なくない。そういう人々は、誤差の評価だとか、マイクロアレイのデータ解析だとかの重要性を、理解できない。私は、誤差評価のために同一条件で何度か測定する必要があるのではないか、と教授に述べたのだが、「我々の研究室では、これまで一回の測定で実験を進めてきたのだから、何回も同じ条件で測定する必要はない。皆と同じようにやりなさい。」と指示されるのみであった。なぜ誤差評価が不要なのか、という説明が簡単にでもあるならば、納得するなり反論するなり対応できたが、「これまでそうだったのだから、同じようにやれ」では、どうしようもない。せめて、学生の主張に耳を貸すだけの度量があればよかったのだが、一方的に指示するだけでは、議論もできない。なお、そういう学術的な問題について相談できる相手は、少なくとも研究室内には一人もいなかった。実験を始めてすぐに、私は頭を抱えた。