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ロイター通信の3 日前の記事によると、タイの首相が大麻規制の強化を表明したらしい。改めて検索してみると、私はこれまでの日記で大麻規制について一度も書いていないようなので、この機会に記載しておこう。なお先に書いておくが、私は大麻規制の緩和には断固反対の立場である。
大麻については、世界的に規制緩和を主張する人々が少なくない。その多くは、大麻使用による有害事象は比較的軽微である、とする考えに基づいている。特に、多くの国で合法である酒や煙草に比して、害が小さい、と主張するのである。また医療上の有益性を主張する人もいる。これらの点について議論しよう。
まず医療上の有益性についてであるが、これは、大麻規制を論じる上では関係ない。大麻の成分の一部が医療上有益である可能性はあるが、それならば、それを医薬品として取り扱えば済むだけのことである。実際、コカインは医療現場で使われている。すなわち、医療上の有益性があるという事実は、大麻そのものの規制を緩和する根拠とはならない。
次に大麻による有害事象は比較的軽微である、という点についてである。有害事象の重大性の大小をどうやって比較するのか、というのは難しい問題である。致死用量云々で議論する人もいるが、一回あたりの用量が違うのだから、煙草の致死用量と大麻の致死用量を比較しても意味がない。一回あたりの用量で規格化する、などという考えもあるかもしれないが、一回あたりの大麻の用量など、個人差が大きすぎて評価できまい。とはいえ、煙草が発癌リスクを大幅に上昇させることを思えば、大麻の慢性有害事象は煙草と同等以下であろう、という推定は、妥当であるように思われる。また酩酊した人間が様々な反社会的行為に及んでいる現状を思えば、大麻の急性有害事象は酒よりも軽微であろう、という推定もまた、もっともらしい。総合してみれば、大麻は酒や煙草よりも害が小さい、という主張は、明らかに誤りであるとはいえない。むしろ、正しいかもしれない。しかし法を犯してまで大麻で快楽を得ようとする者がこれほど多い、という事実は、大麻への精神的依存の強さを示唆している。酒や煙草に比して大麻は依存を来しにくい、とする報告もあるようだが、それは大麻が違法であるが故に歯止めがかかっている、というだけのことではないのか。
また、仮に大麻による害が小さいとしても、なぜ、大麻の規制を緩和しよう、という方向に向かうのか。大麻よりも危険な酒や煙草を規制しよう、と、なぜ考えないのか。人類の歴史において、酒や煙草が嗜好品として消費されてきた期間は長い。しかし現代では、酒や煙草の医学的有害性が認識されており、特に煙草に関しては、社会からの放逐が進んでいる。国立がん研究センターによれば、日本における喫煙率は年々低下しているようである。飲酒に関しては、はっきりした統計がわからないが、「大人なら酒を飲んで当然」というような認識は以前よりも弱まっているように思われる。いわゆる飲み会の席においても、20 年前に比べれば「私は飲みません」というような表明をしやすい風潮が広まっているのではないか。
中には、かつての米国の禁酒法問題などど持ち出して、酒や煙草が社会にとって必要なのだと主張する者もいる。しかしこれは、社会を急激に変革させようとしたことが失敗しただけであって、酒や煙草を規制すること自体に問題があったわけではない。
よくよく考えていただきたい。諸君の人生において、本当に、酒や煙草は必要なのか。酒は、酩酊して不適切行為に及ぶ危険を犯してまで飲む価値が、本当にあるのか。「私は自分をコントロールできるから、酒を飲んでも不祥事を起こさない」と思っているかもしれないが、本当に起こしていないのか。周囲が我慢しているだけではないのか。あのような有害薬物に頼らねばならないほど、諸君の人生には彩りが乏しいのか。
一応書いておくが、私は他人に欺かれて酒と知らずに飲んでしまったことはあるが、自分の意思で飲酒したことはない。むろん、喫煙したことは一度もない。
私は 19 歳で京都大学に入学した際、囲碁部に入部しようと思っていた。そして入学式前日であったかと思うが、囲碁部の活動に参加し、飲み会に誘われた。百万遍の「アンなんとか」という名の居酒屋であった。私は飲酒しない旨を表明していたが、当時 4 回生だか 6 回生だかの佐藤という男が「コーヒー牛乳である」と偽って「カルーアミルク」なる酒を、さらに「オレンジジュースである」と称して「スクリュードライバー」なる酒を、計 2 杯も私に飲ませた。周囲にいた他の囲碁部員の誰も佐藤を止めようとしなかった。私は店員にも「未成年者ですので」と伝えていたが、店員も佐藤に同調して「オレンジドライバー。。。あ、間違えた、オレンジジュースです」などと言って、その酒を持ってきた。佐藤も店員も犯罪者である。私はそれらを全て飲んでも、それが酒であることに気づかず、飲み終わってから周囲に教えられて初めて、自分が飲酒したことを知った。佐藤は、ここに書くのは憚られるような下品な冗談を言いながら笑っていた。むろん、私は結局、囲碁部に入部しなかった。あれから 22 年が経ったが、私は佐藤と京都大学囲碁部に対する恨みを忘れていない。