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朝日新聞に電気の力で塩味高めるスプーン発売という記事があった。これは有料記事であるが、購読していない人も記事の冒頭部分だけ読んでいただければ充分である。この商品はキリンが販売しており、開発には明治大学の教授が関与しているらしい。
この商品開発を行った者は科学に対し不誠実であり、これを書いた朝日新聞の記者は報道に対し不誠実である。
キリンのウェブサイトには、この商品に用いた技術について試験が行われたようなことが書かれている。関与した明治大学教授のウェブサイトの記載からすると、これは減塩生活者を対象とした電気味覚による塩味増強効果の評価という報告のことであろう。これは情報処理学会という学会が開催したインタラクション 2022というシンポジウムで発表されたものらしい。
上述のシンポジウムに提示された発表の予稿は、研究室のウェブサイトで公表されているので、興味のある方が読まれるとよい。この報告自体は、科学的に不適切というほどのものではない。しかし、この報告をキリンが発売したスプーンの技術的根拠とみなすには、二つの大きな問題がある。
一つめの問題は、盲検化が不充分だという点である。一応、本文中には「実験中, これらの条件は参加者に開示していない」と記載されており、被験者に対しては盲検化したことになっている。一方、実験 1 のデザインとして
はじめに, 実験担当者は参加者が舌へ正しくゲルサンプルを設置していることを確認したのち,電気刺激の出力を開始する.次に, 刺激波形の提示開始から約 1.2 秒経過したタイミングで実験担当者が合図し,そのタイミングの味を評価させた.一方, 電気刺激なし条件では, 実験担当者は参加者が舌へ正しくゲルサンプルを設置していることを確認してから,約 1.2 秒が経過した際に合図し, そのタイミングの味を評価させた.
と、記載されている。この記載を信じる限り、ほとんど盲検は破れていると考えられる。まず実験担当者の表情や仕草などが参加者からみえるのかどうか、書かれていない。もしみえるなら、その表情などから、電気刺激の有無が参加者に伝わっている可能性がある。ひょっとすると、電気刺激を開始するスイッチの操作がみえているかもしれない。また電気刺激ありの場合は「刺激波形の提示開始から」1.2 秒を測っているのに対し、電気刺激なしでは「舌へ正しくゲルサンプルを設置していることを確認してから」 1.2 秒であるから、その違いを参加者は感じているかもしれない。こういう違いが重大なプラセボ効果を引き起こすことは、ヒトを対象とする実験を行う者ならば当然に知っているはずのことである。
本当に盲検化をするつもりなら、二重盲検化すべきである。この実験セットアップであれば、実験担当者に対しても盲検化するのは、それほど難しいことではあるまい。条件によらず実験担当者はスイッチを押すが、実際に通電するかどうかはコンピューターのみが把握しており実験担当者にはわからない、という形にすればよいのである。それをしなかったのは、実験計画者がプラセボ効果のことを知らなかったか、あるいは盲検化する意思がなかったかの、どちらかであろう。少なくともキリンのような大手企業の開発担当者がプラセボ効果を知らないとは思われないから、遺憾ながら、これは後者であったのだろうと想像せざるをえない。
このように、プラセボ効果の疑いがあるような実験を根拠に、このスプーンの効能を主張するのは、科学に対し不誠実である。本当に効果のあるスプーンを作りたかったのではなく、科学的な雰囲気のある根拠らしきものが欲しかっただけなのではないか。
長くなってきたので、続きは後日にしよう。