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朝日新聞に東工大、来春の入試で「女子枠」149 人にという記事が掲載されていた。
私は、大学入試に性別を指定した枠を設けることには断固反対である。多様性確保のために女子枠を設けるというのなら、なぜ身体障害者枠やイスラム教徒枠、ブラジル人枠などを設けないのか。南米にルーツを持ち日本に住む人は珍しくないし、その中には日本国籍者も多い。しかし東京大学や東京工業大学といった名門大学の学生には、人口比の割に、そういう属性を持つ者が少ないのではないか。人種差別ではないか。
そもそも東京大学や東京工業大学に女子学生が少ないのは、生まれてから高等学校を卒業するまでの間に、意識的にか無意識にかはともかく、男女の間で著しく偏った教育がなされていることが原因であろう。その偏向教育をそのままに、単に大学入学者数の帳尻だけを合わせたとして、一体、何が解決するのか。表向きの統計から男女格差がみえにくくなるだけで、差別と偏向は厳然として存在し続けるのである。みえなければよい、という考えなのか。
問題の根底を考えなければならない。現代においても「女が物理や数学などやったら、嫁の貰い手がなくなる」というのに近いことを言う親は、稀ではない。たとえば幼い我が子について「将来、医療従事者になるのかしら」という意味のことを言う場合、男児に対しては「医師」を挙げることが多いのに対し、女児に対しては「看護師」を挙げることが多いのではないか。実際には男女の別に関係なく、それぞれの人の個性の問題として医師向き、看護師向き、技師向きなどと様々であるのに、性別を根拠に勝手に決めつけるのである。そういう偏見に幼い頃から晒され続けた結果が、東京大学における男女比の偏りであろう。
現在の大学において、厳しい男女差別が存在することは事実である。私は京都大学時代にも、名古屋大学時代にも、北陸医大 (仮) 時代にも、教員や学生が無思慮にセクハラ発言や性差別発言するのを、幾度となく聞いてきた。京都大学では、留学生が文化的相違から近隣トラブルを引き起こした際、准教授が謝罪・調停に赴くにあたり「女性もいた方が場が落ち着きやすいから」と女子学生に同伴を求めたことがあった。また北陸医大では、某教授が女性スタッフについて「女性は ○○ だから」などというステレオタイプに基づく差別発言を繰り返していたことが、強く印象に残っている。残念ながら我が陸奥大 (仮) においても「xxx 先生は女子だからといって甘くしない」という差別発言を聞いたことがある。
こういう、生まれた時から続く偏見、セクハラ、性差別の風潮を葬るために、とにもかくにもまず女子学生を増やす、という方策は、理解できないでもない。ただし、それならば、文化的無知から生じる人種差別を解消するために、黒人枠やイスラム教徒枠も設けるべきである。また、男子であるというだけの理由で相対的に入試が厳しくなる男子受験生に対する補償も必要であろう。