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少し日記の間隔が空いてしまった。北陸医大 (仮) 時代には、日々の職務環境で滅入ってしまい日記を書けないことが多かった。しかし陸奥大 (仮) に来てからは、むしろ日々の研究に熱が入り、日記にまで手がまわっていない。とはいえ、この日記を残すことにもたぶん、相応の社会的意義があると思うので、なるべく書き続けていこうと思う。
この記事は 6 月 10 日に下書きしたが、デリケートな内容であるために推敲に時間を要し、掲載が遅れてしまった。
たまたま文春オンラインで、岡真理さんの記事をみかけた。週刊文春 3 月 14 日号に掲載された記事と週刊文春 CINEMA 2004 夏号に掲載された記事である。
もう二十年以上前のことなので、岡さんは私のことなど覚えていないであろう。岡さんが京都大学に助教授として赴任したのは 2001 年であり、私が京都大学に入学したのは翌 2002 年 4 月である。この私が入学した年から、第二外国語としてのアラビア語科目が新設され、岡さんが授業を担当した。当時の世界情勢もあり、4 月時点での受講者はたいへん多く、教室に納まりきらず、廊下で聴講する者も多かった。しかし回が進むにつれ、どんどん脱落していき、年度末まで残ったのは 10 人程度であったように思う。これは全学部合わせた人数である。年度末の試験だけ受験した者も少なくなかったが、むろん、それで合格するほど甘い試験ではなかった。私は試験当日に寝坊したが、雨の中、タクシーを使って大学に行き、なんとか 20 分ほどの遅刻で済んだので、合格した。二年目ともなると、受講者は 6 名程度だったように思う。少人数の、楽しい授業であった。
岡さんについて、強く印象に残った言葉がある。以前に日記に書いたようにも思うが、検索しても出てこないので、もう一度書こう。いつであったか、京都大学で行われた学生主催の講演会で岡さんがパレスチナの話をした時のことである。質疑応答の際に、ある男性が岡さんに対し「ご主人は何の仕事をしているのですか」と不躾な質問をした。むろん、講演の内容に関係のない不適切な質問なのであるが、岡さんの切り返しは見事であった。「私には共同生活者はいますが、主人はいません。敢えていえば、私は私自身の奴隷です。」と言ったのである。夫のことを「主人」と表現することの不適切さを述べているのだが、私が感心したのは「私は私自身の奴隷である」という部分である。なお、質問者は、岡さんの言葉の意味を理解できなかったようである。
文春の記事をみて、岡さんの最近の著書である『ガザとは何か』の存在を知ったので、さっそく買って読んだ。この書物は、岡さんが 2023 年に京都大学と早稲田大学で行った講演の内容をまとめたものである。この講演は、1948 年から現在に至るまでパレスチナで虐殺を継続的に行っている武装勢力の活動を非難し、その実情を広報するものである。岡さんは日本のマスコミは、特に中東情勢に関しては偏向が著しい、という点についても厳しく批判している。
イスラエルと称する武装勢力は 1948 年に「建国」を宣言して以来、パレスチナに住むアラブ人に対する虐殺、迫害を継続的に行っている。これには直接的に武器を使用して民間人を殺害することだけでなく、徹底した経済封鎖により食料すら手に入らない状況に追い込む、というものも含まれている。厄介なのは、このイスラエルの「建国」自体は国際連合の決議により「国際的に承認」されている上に、この武装勢力自体も国際連合に加盟している、という点である。そもそも国際連合の総会や安全保障理事会には、国連憲章上、各国の主権を尊重する義務がある。それを無視してイスラエル「建国」を認めたこと自体が、そもそも不法であった。それゆえに、アラブ諸国の多くやイランなどは、イスラエルを国家として承認しておらず、あるいは外交関係を有していない。
最近の岡さんの考えをよく知らないのだが、私が京都大学にいた頃の講演では、パレスチナ問題の解決に向けて、まずはパレスチナが国家として認められ、交渉のテーブルに就くことが必要である、と述べていたように記憶している。それについて当時、私は、甘いのではないか、と思った。
今年の 5 月に、ノルウェー、アイルランド、スペインがパレスチナを国家承認した。日本や米国の他、英独仏伊をはじめとするヨーロッパの大国の多くはパレスチナを国家承認していないが、国の数でいえば国連加盟国の 7 割以上はパレスチナを国家承認しているという事実について、日本のマスコミはあまり積極的に言及しないようである。この欧州 3 国によるパレスチナ国家承認について、パレスチナ問題の解決に向けた動き、と判断するのは早計であろう。JETRO の記事などによれば、この三国はいずれも「二国家解決」を唱えているが、その内容が問題である。
二国家解決というのは、パレスチナとイスラエル双方の国家を共存させる、という案である。一方、国家間の領土問題については、第三国は介入しない、というのが国際関係の基本である。すなわち、スペイン等のいう「二国家解決」というのは、ありていにいえば、「我々は関与しない。当事者同士で解決しろ。」と言っているだけのことではないのか。
パレスチナを支持しつつ二国家解決を唱える人々は、楽観的に過ぎるのではないか。パレスチナが国家として広く承認され、イスラエルと国家間交渉したとして、イスラエルがパレスチナに何らかの譲歩をする可能性があると考えているのか。エルサレム全域あるいは東エルサレムをパレスチナに譲渡あるいは共同統治したり、あるいは既に存在する植民地から撤退したり、また新たな植民地の建設をやめる、などといった内容に合意する可能性があると思っているのか。なぜ、イスラエルがそのような譲歩をすると思うのか。二国家間の問題だから、外国は口を出すな、と言って、これまで以上にパレスチナへの迫害を強めるのは明白ではないか。
なお、この「植民地」については註記が必要であろう。現在イスラエルが行っているのは、自国の領域外である土地に植民者を送り込み、現地住民との紛争には軍を送り込んで武力で解決する、という活動である。これが植民地化でないならば、一体、何を植民地と呼ぶのか。しかしイスラエルによる領土拡張に対しては、なぜか「植民地」や colony ではなく「入植地」 とか settlement とかいう、いささか柔らげた表現が用いられることが多い。イスラエルに対する、なにがしかの遠慮の結果であろう。歴史的に虐げられた民であるユダヤ人を悪くいうのは気が引ける、という気持ちは、わからないではない。しかし、かつてホロコーストの被害者であったとしても、現代において加害者に転じたシオニストに対し、何を遠慮する必要があるのか。
ついでに書くと、現在行なわれているジェノサイドの加害者を「ユダヤ人」と括るのは適切ではなく、シオニスト、などと表現するべきである。というのも、敬虔なユダヤ教徒の中には、イスラエルによる乱行に対し批判的な意見が強いからである。パレスチナの地は神がユダヤの民に約束された土地ではあるが、それをユダヤ人に与えるのは神の御業であって人が為すべきことではなく、人が軍事的に土地を奪取するのは、むしろ神に対する冒涜である、という論理である。かつて敬虔なキリスト教徒が十字軍の東方遠征を非難したのと同じように、真のユダヤ教徒はシオニズムを認めないのである。
話を元に戻そう。そもそも、英国や国際連合が、その地に住んでいる人々を無視し、信教の自由を否定するイスラエルの「建国」を認めてしまったことが、諸悪の根源である。国連によるイスラエル建国の承認、いわゆるパレスチナ分割決議は、基本的人権や、大小各国の同権、寛容、国際の平和などを謳った国連憲章の理念すら無視して行われた蛮行であった。その過ちを反省し、是正することが、国際社会の責務ではないのか。
パレスチナの地に、ユダヤの宗教国家としてのイスラエルが存続する限り平和はありえない、とする一部の強硬派イスラム教徒の主張は、遺憾ながら、正しいように思われる。二国家共存による住み分けではなく、信教の自由が保証された単一国家の形成が、唯一の可能性ではないか。信教の自由を認めるかどうかはイスラエルの国内問題だから、などといって口を挟むことをはばかるのは、不誠実である。諸君は 21 世紀に入ってからも、アフガニスタンやイラクで国内問題に口を挟み、軍事的に介入して現地政府を転覆し、新しい政治体制を構築したではないか。ウクライナ東部に住むロシア人の独立を阻止するために、ウクライナ軍に対する武器支援などを通じ積極的に介入しているではないか。
なおパレスチナ問題について、ウクライナの大統領がイスラエル支持の声明を発したことを、我々は忘れない。イスラエルの行動を支持しながらロシアの軍事行動を非難する、というダブルスタンダードを、私は認めない。