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私にとって、病理医として北陸医大 (仮) で過ごした 6 年間は、基本的には楽しいものではなかった。北陸の地そのものには恨みはないが、かの教授の研究者や教育者としての資質に問題があったものと私は認識している。
当時、我々は、病理解剖を行った症例について、解剖担当者が報告をまとめ、それを原則として全員で検討するカンファレンスを行っており、剖検検討会と称していた。この検討会における教授の態度は、教育者としていかがなものか、と思うものであった。
我々は新人病理医であるから、時には診断を誤りそうになることがある。それを正すのは、指導医の責任であろう。ところが剖検検討会の場で我々が的を外した診断を述べると、教授は「ハァ?」と言い、「これのどこが異常なしなんだ」などと我々を詰問するのである。なぜ、そのように険悪な雰囲気を積極的に作ろうとするのか。かの教授が若かった頃に、そういう「指導」を受けたのかもしれないが、自分が受けた「教育」を無批判に再生するのは、教育者として適切な態度ではない。
さらに、教授が剖検検討会の場で述べる内容が、しばしば正しくないのである。むろん、教授も時には間違うのは当然であるのだが、あたかも「俺は絶対的に正しい」といわんばかりの態度で正しくないことを言うのだから、困る。
強く印象に残っているのは腎臓の「甲状腺化」であったか「甲状腺様変化」であったかについてである。何らかの疾患により慢性腎炎を来し、最終的に腎機能のほとんどが失われた状態を「終末期腎」などと呼ぶことがある。この状態の腎臓は、組織学的には尿細管が嚢胞状拡張して好酸性物質を容れ、甲状腺の組織に似た様相を呈することがある。これを腎臓の甲状腺化、などと呼んだ人がいるらしい。むろん、この呼称は不適切である。ヘマトキシリン・エオジン染色の標本で甲状腺と似ている、というだけのことであり、機能的には全く甲状腺とは類似しない病変なのであるから、本来は「甲状腺に似ている」などと言うべきではない。また尿細管の嚢胞状の拡張自体も、腎機能が失われた結果の二次的変化であって、それ自体に重要な病的意義があるとは考えられない非特異的な変化なのだから、これを診断上の重要な所見と考えるべきではない。しかし昔の病理医は、機能を無視し、形態だけから判断して名称をつけることが多かったようである。そのため教授も、これを甲状腺化、などと表現していた。むろん、現代ではこのような不適切な呼称は通常、用いられない。私も、そのような表現は、知らなかった。そこで私は炎症細胞浸潤や繊維化、尿細管拡張、糸球体の消失などがあることを指摘したのだが、「甲状腺化」と言わなかったことが教授には不満であったらしい。「甲状腺化があるじゃないか」と、私を叱りつけたのである。私は「甲状腺化」という不適切な言葉自体を知らなかったので、反論もできなかった。
繰り返すが、甲状腺化というのは表現として不適切なだけでなく、その所見自体が非特異的なので診断上の価値が乏しい。その言葉を使わなかったからといって、叱責されるようなものであるとは、私には思われない。人を叱りつけることを教育だと思っているならば、教育者としては不適格である。