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毎年、この時期になると平和について、あるいは戦争について述べる言説が増える。それは良いし、重要なことだと思うのだが、朝日新聞などは「平和の尊さ」などを繰り返すばかりで、思慮の浅い論述が多いように感じられる。
平和は尊い、戦争はするべきではない、という点については、ほとんどの人が賛同するであろう。日本に住む人々だけでなく、米国人も、アフガニスタン人も、アイルランド人も、同意するであろう。米国のトランプも、ロシアのプーチンも、イスラエルのネタニヤフも、イランのハーメネイーも、皆、平和を望んでいる。ハマースもシオニストも、ロシアもウクライナも、インドもパキスタンも、中華人民共和国も台湾も、クルド過激派も、誰も戦争を欲してはいない。
ただひたすらに平和は尊いと繰り返す人々、戦争はいけないと説き続ける人々は、そうした世界中の紛争当事者達が戦争を望んでいるとでも思っているのだろうか。
彼らにはそれぞれの事情があって、やむをえず戦っているのである。その事情を無視して「平和は尊い」と当然のことを説くのは、他者に対する無理解、無配慮の表出であり、自分の価値観を無自覚に押しつけているのであって、紛争当事者を侮辱しているのではないか。そういう態度こそが戦争の根源なのではないか。
「平和は尊い」と主張するのは簡単である。誰もが思っていることを述べているだけなのだから、その主張を批判される恐れはないし、安心して「自分は正しい」と信じて言葉を発することができる。簡単で、無責任な言説である。
真に平和を望むなら、紛争の根源を解消することを主張しなければならない。そのためには、誰かの主張を否定しなければならない。反論や批判を受けることを覚悟して、議論しなければならない。批判を受けないような「安全な主張」を繰り返して平和に貢献しているかのように思うのは、卑怯である。
「アラブ系パレスチナ人の主張はわかる。シオニストの立場も理解できる。しかし両者ともに矛を納めよ。」というのは、矛盾している。パレスチナは、アラブ人がパレスチナに主権者として住む権利を主張しているのに対し、シオニストはパレスチナを「神がユダヤ人に与えた地」としてユダヤ人の他民族に対する優越を主張しているのであって、両者の主張には共存の余地がないのである。これを収めるには、少なくとも一方の主張は否定しなければならない。
私の見解では、信教によって公然と人を差別するシオニストの主張は認められない。思想の自由、信教の自由は、人類に普遍的に認められるべきであり、この点は譲れない。宗教国家が容認されるのは、それを国民が主体的に受け入れた場合に限られる。パレスチナの地には少なくとも 2,000 年前から非ユダヤ教徒が少なからず存在している以上、かの地にユダヤ教国を樹立することは認められない。仮に二国家解決を図る場合、エルサレムなどの重要な土地をシオニストが占有する形での二国家併存は許容されない。それよりも、信教の自由を保証するユダヤ・アラブ混成国家の樹立を目指すべきである。だいたい、かの地ではシオニストがイスラエル建国を主張するまで 2,000 年以上にわたり、多宗教多民族が適度に融和して存続していたのである。シオニストの主張する「ユダヤ人の優越」さえ社会的に否定されれば、誰もユダヤ人を迫害などしない。