2012/05/03

名古屋大学医学部医学科に編入学してから、一箇月が過ぎた。 これまでに得た最大の発見は、名大医学部の学生の質の低さである。

まず、講義中の私語が甚だしい。私は常に最前列から三列目程度の範囲に座っているが、 どの講義でも、後方からざわざわとした私語が常時聞こえてくる。 大半の先生方はもはや諦めているらしく、気にする素振りを見せることはあっても、私語を注意することは稀である。 それでも二人の教授は、講義中に学生の私語をお叱りになった。立派な先生方である。 だが、それで学生の態度が改まるわけではなく、どの講義でも、私語は相変わらずうるさい。 某教授の言う通り、我々は幼稚園児並である。

それだけ私語が酷いのだから、当然、教授が前に立ってマイクを握り着席を促しても、即座には着席しない。 ダラダラと緩慢な動きで、私語をしながらおもむろに席に着くのである。 もっともこれには、某教授のような例外はあるものの、多くの教授は定刻通りに講義を始めず、 10 分か 15 分ぐらい遅れて教室にやってくる、という事情もあるだろう。 教授側が真摯な姿勢を見せていないのに、学生がキチンとけじめをつけるはずが、ないではないか。

モラルの崩壊は、サテライトラボ、いわゆるコンピュータールームでも見られる。 学生用に多数の PC が配置されているこの部屋では、飲食禁止はもちろん、土足も禁止である。 しかし実際には、少なからぬ学生が土足で入室し、 PC の前で飲食し、ゴミを散らかして退室する。

こうした日常的な素行の悪さは、学問に向かう姿勢にも表れている。 二年生と編入三年生は、4 月から 7 月にかけて、解剖実習を行う。そこで繰り広げられる光景については、ここでは記さない。 しかし、まことに申し訳ないことであるが、献体された方々の篤志に対し、真摯に向き合っていない学生が少なからず存在するように感じられる。

もちろん、我々のすべてが幼稚園児なわけではない。 将来立派な医師になるであろう素晴らしい学生を、私は既に 3 人(編入生を除く)発見した。

2013/07/04 修正

2012/05/05 快晴

解剖学の予習が進まない。腕神経叢の終末枝のうち、筋皮神経と正中神経、尺骨神経の手根より近位の部分について、ようやく理解した。 解剖学知識は、基本的には暗記事項であるが、ある程度は系統的な構造をしているので、ヤミクモに丸暗記するのは得策ではない。

当たり前のことだが、筋の支配神経は、その筋の近くを通る。 だから、筋の起始停止と神経の走行をバラバラに覚えるのは、頭の良いやり方ではない。 胸背神経が広背筋を支配していることは胸背神経が後神経束から出ることと密接に関係しているし、 前鋸筋の位置を考えれば、その支配神経である長胸神経が腕神経叢の根から出ているのは当然である。 動静脈も同じで、例えば頸横動静脈は広背筋に分布していることを考えれば、それが甲状頸動脈から発するのは合理的である。

そのように整理しながら記憶するにしても、覚える事柄が多くて大変ではある。苦にはならないが。


2012/05/11

今日から、解剖学実習の担当教授は某教授に交代した。 この教授はたいへん熱心な方であり、我々に「当たり前のこと」を要求なさる。 例えばキチンと予習してくるとか、教科書やアトラスを持ち込んで調べながら解剖するとか、そういうことが要求されるのである。

学生間の多数意見としては、彼は評判が芳しくない。 理不尽な叱責をするとか、注意の仕方が嫌味ったらしい、などというのである。 しかし私の見たところ、彼は至極あたりまえのことしかおっしゃっていない。 それが理不尽や嫌味に聞こえるのは、学生側の思考が歪んでいるからである。

学生の多くは、自ら考え判断して自ら学ぶ、という姿勢を欠いている。 わからないことは先生に聞けばよいと思っており、自分で調べて考えるという習慣がない。 大学生として当然に備えているべき学習姿勢を欠いているのである。 その意味において、我々は大学生失格である。

教授は、我々を、大学生扱いしているだけなのである。 大学生に対し「教科書を開いて、よく調べながら解剖しなさい」などと当たり前のことをイチイチ指示するのは甚だ失礼なことであるから、 「なぜ教科書を開いている班が少ないのか、不思議である」というような婉曲表現をしているだけなのだ。 真の大学生ならば、彼のコメントを耳にして、教科書も開かずに解剖していた自らの怠慢を深く恥じ入るはずである。

2013/07/04 修正

2012/05/15 雨

今日の午前は病理学実習であった。癌腫の組織像を顕微鏡で観察しスケッチする、というものであった。

名古屋大学医学部医学科における実習風景は、悲惨なものである。 最初から最後まで雑談しながら観察している者がいると思えば、 音楽を聴きながら、しかも音漏れさせながら、観察している者もいる。 時には「何を描けば良いの〜?」などという声も聞こえてくる。 彼らは、実習を何だと心得ているのか。

周囲の学生を見ると、彼らの多くは、ある共通認識を持っているように思われる。 すなわち、基礎医学や基礎科学をあまりに軽視しているのである。 正確にいえば、彼らは基礎を「重要ではないと認識している」わけではなく、何も考えていないのである。 思うに、いわゆる受験戦争の最大の弊害はここにある。 入学試験で良い点数は取れても、学問に対する基本的な姿勢が、全く身についていない。

彼らは救急救命の手技など、目に見えることがらには興味を示すし、すなわち医療に関心はあるわけだが、 解剖学や組織学・病理学などといった、目に見えない基礎医学にはあまり興味を示さない。 解剖学を知らずに、病理学を知らずに、まともな医師になれるとでも思っているのか。 それとも、単位をとれば十分であるとでも思っているのか。 免許を取ってから勉強すれば十分だとでも思っているのか。 癌の組織標本が目の前にあるのに、どうして、自分で観察しようとしないのか。 その組織にどのような特徴があるのか、何をスケッチするべきか、どうして自分で考えないのか。 自分がどれほど醜い姿を晒しているか、認識しているのか。 恥というものを、知らないのか。

一つには、先輩が悪い。 「これだけやっておけば大丈夫だよ」などと、単位を取るためのコツのようなものを後輩に伝授する先輩がいる。 確かに、それで単位は取れる。 「学生時代はあまり勉強しなかった」などと、不勉強を自慢する医師もいる。 確かに、それでも免許は取れる。 しかし、そのような医師に、名医はいるのか。眼前の患者に、眼前の病気に、きちんと対応できているのか。 恥ずかしくはならないのか。

(某教授のような例外はあるものの)教授陣も教授陣である。 学生がかくも愚かな振る舞いをしているのに、なぜ、指導なさらないのか。 昨今の学生の惨状を、なぜ、直視なさらないのか。 もちろん、このような基本的なことは、本来、大学で教わるような性質のことではない。 しかし現実に学生が蒙昧である以上、そのまま卒業させれば 将来いかに恐るべき事態が生じるか、なぜ想像なさらないのか。

東京大学を卒業して再受験で入学したある学生が「医学部は民度が低い」と言っていた。私も同意見である。 「モンスターペイシエント」なる言葉が医療業界には存在するようだが、 医師側、学生側のモラル崩壊、意識の低下も、相当なものである。

医師免許に守られて、内心では、人生の勝ち組だとでも思っているのだろう。 恥を知れ。

2013/07/04 修正

2012/05/15 追記

あまり公然と学生批判を行わないほうが身のためである、ということは、私も認識している。 しかし、あまりに酷い。目に余る。 これを批判せずにいては、私も彼らに迎合していると判断されかねない。 それは堪えられない。私にも科学者としての良心と誇りがあるのだ。

最前列に座っていながら授業中に飲食ならびに居眠りをする、という信じられない学生がいる。 某 教授は講義を始める前に、その学生に対し予め「始まる前に食べ終われ」と指示をなさった。 また、授業中の私語に対しても当然、注意をなさる。立派な先生である。

2013/07/04 修正

2012/05/18 晴

今日は 9 時から 17 時過ぎまで解剖を行った。我が班は、進捗が遅いのである。

ところで、名古屋大学医学部では数学や物理が一年生の必修科目であるらしい。 学生の中には、これに対し「将来べつに必要なわけでもないのに」と不満を覚える者が少なくないようだが、その認識は誤りである。

第一に臨床医にとって、物理や数学およびそれらの上に成り立つ基礎的な工学知識は必須である。 臨床において使われている医療機器の原理や仕組みについて、医師が正しく理解していなかったらどうなるか。 そんな医者に診察される患者は不安になるし、実際に事故の原因になる。 高度な医療機器というものは、説明書を読めば理解できるというものではない。 説明書を理解するためには、ある程度の工学的・物理的知識と数学的素養が必要なのだ。

第二に、医学や生命科学を学ぶ上で、物理学や数学は必須である。 生命現象は、根本的には物理的・化学的過程である。 たとえば、電磁気学の知識なしに、どうして神経伝導の機構を理解できようか。 どうして心電図を理解できようか。

もちろん、物理や数学がわからなくても、丸暗記をすれば試験で点は取れるし、心電図から疾患を見出すことも可能である。 医者になるための職業訓練という意味では、物理も数学も不要であると言えなくはない。 しかし、そのように根本的な理解を抜きに丸暗記したのでは応用が効かず、 既に確立された治療法を適用することはできても、新しい治療法を開発することはできない。 すなわち医学を発展させていくことはできない。 名古屋大学医学部は、医学の発展に貢献できる人材の育成を目的としており、 既に確立された医術を施すだけの医者になりたい者は、歓迎されないのである。

また臨床的な意味においても、大学病院で扱うような症例においては、教科書どおりの経過をたどることはむしろ少なく、 従って、臨機応変に対応せねばならない。 その場合、「こういう症状ならこう対処すれば良い」などという知識をいくら蓄えていてもだめである。 疾患を基礎から理解していなければならず、すなわち基礎医学の理解が不可欠である。 そして基礎医学の単位を取るだけでなく、きちんと理解するためには、どうして物理や数学が不要であろうか。

もっとも、「複雑な微分方程式の解法を習得する必要までは、ないのではないか」との意見に対しては、私も全面的に同意する。


2012/05/24

解剖学実習メモ

横筋筋膜と腹膜は、比較的強く結合している。従って、特殊な作業をしない限り、 「腹直筋を横筋筋膜から剥がそうとして、誤って横筋筋膜を腹膜から剥がした」という事故は起こらない。

鼡径管は、浅鼡径輪と深鼡径輪の間の領域を指す。精巣側から見ると、精索は皮下を上行し、 浅鼡径輪の位置で外腹斜筋を通過する。精索はさらに鼡径靱帯に沿って走り、深鼡径輪の位置で横筋筋膜を通過する。 精索は腹膜を通過することなく、すなわち腹腔に入ることなく、今度は下行して陰茎に向かう。 精子は、かくも長い旅をして陰茎に到る。

2013/07/04 修正 (精索は精嚢には行かない。)

2012/06/01

解剖学実習メモ

心臓や脈管の形や向きには、個人差が大きい。 例えば、下大静脈の位置は、人によって正中もしくはやや右寄りである。 食道は正中もしくはやや左寄りである。 下行大動脈が正中にある例は、さすがに稀であろう。


2012/06/02 曇

私は、京都大学工学部時代にはあまり熱心に勉強する学生ではなかった。 それというのも、当時はあまり明確な目的意識を持っておらず、なぜ学問をするのか、ということについてはっきりとした解を見つけるに至っていなかったからである。 しかし科学者としてのあり方、学問への向き合い方、といった理念的なことに関しては、しっかりと学んだ。

京都大学時代には、多数の素晴らしい先生方と出会う幸運に恵まれた。 私に教科書の読み方を教えて下さったのは、イラン出身で工学研究科の I 教授である。 大抵の教科書というものは非常に厚く、読むのに時間を要し、一方で我々の勉強時間は有限であり、 従って、必要に応じて「即座に役立つ」項目のみを拾い読みする、というような読み方をしがちである。 それに対し I 教授は、良い教科書というものには必ず全体を通したストーリーが存在し、 その流れを汲み取ることこそが、勉強というものの真髄である、ということを指摘された。 平たく言えば、最初のページから最後のページまで順番に読むのでなければ、勉強したことにはならない、ということである。 それは当然のことではあるが、現実的な制約から、ついつい、我々が怠りがちなことでもある。

今、私の前には勉強すべき事項が山積みである。 解剖学、組織学、病理学、および微生物学は今年度の前半のうちに勉強しなければならないし、 後半には研究活動を行う一方で、免疫学、薬理学、生理学、生化学を修めねばならない。 無論、試験に合格し単位を取るだけでは、勉強したことにはならない。

名古屋大学医学部の澱んだ空気の中で私を支えてくれているのは、京都大学で身に付けた科学者としての誇りである。


2012/08/16

5月頃より憂鬱な日々が続いていたが、8月に入ってからは、いくらかマシになったように思われる。 一つには、研究室に通い始めたことが大きいだろう。

微生物学の試験は、不合格であった。再試である。私は過去問を全く見ていなかったので、 試験でどこまで詳しい内容を要求されるのかさっぱり理解していなかったことが原因として大きいだろう。 後から考えれば特に難しい試験ではなかったのだが、勉強不足であった。

病理学は、一応は合格であった。しかし成績は中の上程度であり、特に良いというほどではなかった。 これは完全に負け惜しみであるが、科学者としての、医学者としての能力は試験で容易に測れる性質のものではない。 試験における私の成績がイマイチであるからといって、それは、私が有能でないということを意味しない。

思い出したので解剖学実習メモ

膀胱と直腸は非常に近接している。 私は、膀胱を切るつもりで、あやまって直腸にまでメスを入れてしまった。


2012/11/24 晴

名大医学部生の得点能力は、すさまじい。 病理学の総論、各論、プレパラート試験を終えて、結局、私の成績は中程度であった。 各論の得点は中央値を下回ったかもしれない。 負け惜しみであるが、もしこれが、病理学に対する私の理解度が学年中で中程度であるということを意味するのならば、 名大医学部の未来は明るいであろう。

先日をもって、組織学実習が終了した。実習内容としては、組織標本を見てスケッチを行う、というものである。 我々は二年生と一緒に実習に参加したわけだが、いわゆる受験戦争の弊害であろうか、実習態度には残念なものがみられた。 多くの学生は、スケッチで合格をもらうことを目的としている。 すなわち、何を書けば合格になるか、ということに専ら関心をもっており、少なからぬ人数が、 標本をスケッチするのではなく、先輩から借り受けたスケッチを模写していた。 中には真面目な学生もいるのだが、多数の学生は、人体組織の構造というものに興味を持っていないようである。 彼らが、名大医学部卒の肩書をもって医者になるのである。


Home
Valid HTML 4.01 Transitional