これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2013/10/28 志

先日書いたように、名大医学科四年生の大半は、CBT 対策勉強に多くの時間を割いているようである。もちろん、勉強しないよりはした方が良いのだが、もし勉強の目的が CBT 対策になってしまっているならば、彼らの志の高さについて、いささかの不安を抱かざるを得ない。

彼らは将来、どのような医師になりたいと考えているのだろうか。もし漠然と「医師になって病気に苦しむ人々を助けたい」などと思っている学生がいるとすれば、問題である。現在の日本において国立大学の医学科に入学することは、いささか難関ではあるものの、入学さえできれば、医師になることは比較的容易である。従って、医学科生が上述のような将来を考えているとすれば、それは暗に「特に何も考えず、流れに身を任せて生きていきたい」と言っているようなものである。これでは、志がどうこう以前の問題である。

多くの学生は「高い学識と技術を身につけ、立派な医師として、より良い社会の実現に医学の立場から貢献したい」というようなことを考えているのだと思う。たいへん結構なことである。そこで私は、機会があれば、他の学生に対して次のようなことを言っている。「CBT や国家試験は、学生や医師としての最低ラインを定めるものに過ぎない。我々は栄えある名古屋大学医学部の学生である以上、これらの試験には合格して当たり前なのであり、これらを勉強の目標にしてはならない。」何より、国家試験ごときを目標にする自分の姿が、恥ずかしくならないのだろうか。

もちろん、単なる試験対策に留まらず、医学に対する学問的探求を継続できるのならば、CBT 対策を講じること自体は悪ではない。実際、そのように勉強している学生がいることは、私も知っている。しかし大半の学生にとっては、試験を念頭に置くことで、試験に出題されないような発展的あるいは基礎的な内容への関心が薄れ、医学の本質を忘れ去ってしまうであろう。

「効率的な」勉強に走る学生の中には、「学生のうちには、学生時代にしかできないことをやっておきたい。だから勉強にはあまり時間を費すことができない。」などと弁明する者がいる。その考えは理解できるが、やはり、それは本末転倒である。学生のうちにしかできないことの筆頭は、基礎から順番に積み上がった勉強である。生理学や生化学、そして病理学や薬理学といった基礎的な学問を、今やらずして、いつ、やるのか。また、臨床医学について系統的なしっかりとした勉強をするための期間が、学生時代というものではないのか。研修医になってから基礎的な勉強をしている人も多い、などと悪いことを後輩に吹き込む医師もいるらしいが、研修医には、他に学ぶべきことがあるのではないか。


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