これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2013/10/07 近藤誠医師

近藤誠といえば『患者よ、がんと闘うな』などの著書で有名な医師である。近藤氏は、現代の癌治療などに対して批判的な意見を述べる急進派の医師であり、基本的には、医学界からは嫌われている。これは何も医学界が既得権益を保護したいが故というわけではなく、近藤氏の主張には、科学的観点からいって、いささか不合理な点がみられるためである。

先日、近藤氏の『医者に殺されない 47 の心得』という本を書店でみかけた。これは癌に限らず、医療全般にわたって不適切な医療行為を例示し、解説したものであるらしいが、中に気になる記述があったので、買ってみた。なお、私が近藤氏の本を買ったのは、これが初めてである。

さて、私は近藤氏のことが嫌いではない。むしろ、現在の医療業界を批判し、改革を起こそうとしている点については、立派な医師であると思う。しかしながら氏の言説をみるに、医療のあり方を変えたいがために、批判すること自体が目的と化し、事実を歪曲し、あるいは故意に読者の誤解を招いている面が、残念ながら存在するように思われる。私は基本的には近藤氏と志を同じくするものであるとは思うが、かかる不適切な言説は我々に対する信頼を損ね、かえって改革を妨げるものであると考えられるので、ここで氏の主張に対する批判を展開しようと思う。なお、氏が実名で論じているのに対し、私がこのように匿名で批判することについては、熟練の医師と一介の学生、という立場の非対称性から、ご容赦願いたい。(もっとも、私の素性や本名など、調べようと思えば簡単にわかるだろうが……)

『医者に殺されない 47 の心得』に述べられている心得には、医学的観点からいって、正しいものもある。たとえば「軽い風邪で抗生物質を出す医者を信用するな」とか、「コラーゲンでお肌はぷるぷるしない」あるいは「一度に 3 種類以上の薬を出す医者を信用するな」などは常識である。しかし癌の話になると、なぜか氏は頑に、強引に、治療行為を否定するのである。

まず第一に、氏は言葉の定義がデタラメである。氏は「がんもどき」なる言葉を造り、「命を奪わないがんは、がんのようなもの……『がんもどき』にすぎず、本物のがんに育つことはありません。」としているが、これは言葉の定義を無視した暴論である。「がん」の定義は「浸潤性の腫瘍」であり、転移能の有無は関係ないし、命を奪う可能性の有無も関係ない。この定義は世界共通のものであるが、近藤氏は独自の定義を用いることで、議論を攪乱しているわけである。命を奪うかどうかを問題にしたいなら「致死性のがん」「非致死性のがん」とでも言えばよく、言葉の定義を無視して「がんではない」などと言うようでは、そもそも話にならない。いったい、氏のいう「本物のがん」とは何なのか。

第二に、氏は「癌治療は有効か、無効か」という極端な二元論に持ち込んでいる。すなわち「癌治療自体は有効であるが、過去に行われてきた治療法は不適切であった」という可能性を暗黙のうちに除外することで「癌治療は無効」との結論に誘導しているのだ。たとえば 53 ページで、「胃癌の検診をやめたら胃癌の死亡率が下がった」という例を紹介している。この調査の信頼性にも疑問はあるが、それを別にしても、「適切な検診と適切な治療を行えば、死亡率はもっと下がる」という可能性があるにもかかわらず、無理に「検診は役に立たない」という結論に持ち込んでいることは不適切である。

第三に、氏は科学的事実を無視している。たとえば 108 ページで「マンモグラフィの大規模なくじ引き試験でも、やはり検診と死亡率は無関係です」と述べている。もし氏が 40 歳代の女性に限った議論をしているのならば正しいが、そのような記述はない。50 歳以上の女性に関するマンモグラフィ検診の有効性は、複数のランダム化比較試験(近藤氏のいう「くじ引き試験」)で確認されており、日本乳癌学会による『乳癌診療ガイドライン 2 疫学・診断編』の 154 ページに記載されている。近藤氏はこうした報告を無視し、自らの主張にとって都合の良い報告だけを紹介しているのではないか。

第四して最大の問題は、氏が良心的な医師や医学研究者を侮辱していることである。医師の中には、不勉強で、患者のことを省みず、漫然と治療を施す藪医者が少なからず存在するのは事実であろう。しかし、常に新しい医療、患者の利益を守れる医療のあり方を模索している医学者も、少なからず存在するのだ。風邪に抗生物質、などのデタラメな医療は、まともな医者ならやらないし、癌治療にしても、患者の生活、いわゆる QoL を重視した治療が現代では当然である。そうした事実を無視し、あたかも医学界全体が腐っているかのような言説をしているのだから、医師がこぞって憤慨し、近藤氏を非難するのは当然である。

最後に近藤氏を擁護するならば、氏の学生時代や若手時代には、『白い巨塔』に描かれているように、医学界はひどいものであったと聞く。氏のように正義感の強い人であれば、そうした腐った環境の中で、医学界に対し拭いきれない不信感を持つのは当然であろう。だからこそ、比較的にしても清潔な環境で教育を受けている我々のような若い世代が、これからの医療を改革し、担っていかなければならない。


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