これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2013/07/20 病気がみえる

MEDIC MEDIA 社の「病気がみえる」シリーズが大人気である。このシリーズは、臨床医学の大半の分野を、わかりやすいイラストで簡潔にまとめており、しかも要点はしっかりとおさえてあるということで、名古屋大学医学部医学科生の間でも好評である。重要な箇所をしっかりと記載している、として高く評価する教員もいる。しかし、これは逆に、臨床的に重要なことしか書かれていない、ということでもある。この病気にはこの薬を使えばよい、この病気ではこういう症状が現れる、そういった知識と知識の対応関係しか、このシリーズには書かれていない。そんなものは、いちいち記憶しなくても、コンピューターで調べれば 3 秒で出てくる。それとも昨今の病院は、診察室に PC の一つも置いていないのだろうか。

率直に申し上げて、「病気がみえる」シリーズが医学科で流行している現状は、危機的である。出版元のウェブサイトによれば、このシリーズは「看護師の皆様に圧倒的に高く評価され」ているのであり、「教科書、またはサブテキストとして採用される看護学部・看護学校が増えて」いるのである。名大医学科生は、疾患について、看護学生と同程度の理解で満足するのだろうか。

看護師は、疾患の微妙な点について、あるいは個々の患者に対する医学的介入について判断する立場にないのだから、疾患についてはおおまかな概略さえ理解していれば十分ともいえる。逆に医師は、患者に対する直接的なケアについては高度の専門性を有する必要がない代わりに、疾患の個別具体的な案件について判断し決断する責任を負う。どうして、医師の卵と看護師の卵が、同じ教科書を用いて学ぶことができようか。

医学というものは、あるいは疾患というものは、複雑にして難解である。これをわかりやすく、簡潔なイラストにまとめれば、厳密さを欠くことは免れ得ない。実際、多少なりともまともに勉強した学生であれば「病気がみえる」シリーズのいかなるページについても、あまり厳密ではない記述があることを指摘できるであろう。

なるほど、臨床医学の初学者たる医学科三年生や四年生にとっては、最初の取りかかりとして「病気がみえる」シリーズは悪くないかもしれない。いずれ「ハリソン内科学」や「朝倉内科学」などの成書で学べば、あるいは研修医になってからじっくりと勉強すれば、それで良いかもしれない。だが、そのような弁明をして、いま「病気がみえる」に頼る学生は、五年生、六年生となって卒業試験や国家試験が迫れば試験対策でテンテコ舞いになり、研修医になれば日頃の業務に追われ、研修が追われば日常診療で手一杯になって、なおさら効率的な勉強を追求するであろう。そしてハリソンの如き冗長な記述をじっくりと研究しようと考える余裕を失うことは、火をみるよりも明らかである。

2013/09/06 語句修正

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