これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
少なくとも名大医学科の学生の間では、公正さを軽視する風潮があるように思われる。すなわち、俗な表現でいえば「やったもの勝ち」を認め、法律用語でいうところの自力救済を是としているのである。たとえば、私の知る限りでも、次のような事例がある。
ある時、食堂で二人の学生が、次のような内容の会話をしていた。彼らは、人数限定のある勉強会を主催しており、先着順の参加受付を、インターネット上で行っていたようである。ところが参加希望者の中には、あまり歓迎されない人物も含まれていたらしい。そこで彼らは、申込順を少し操作して、その人はギリギリのところで申込が間に合わなかったことにしてはどうか、というような相談をしていたのである。もちろん、人が集まれば相性のような問題もあるから、参加をうまく断りたくなることはあるだろう。しかし、そういう不公正な謀略を、他人に聞かれるような環境で練るとは、一体、どういう神経をしているのだろうか。公然と話すのは憚られる内容だ、という認識は、ないのだろうか。この二人と私は、一応、互いに顔と名前ぐらいは知っているような関係であったが、この件以来、私は彼らを「そういう人々」だと認識している。
他の事例として、名古屋大学附属図書館医学部分館の閲覧席には、多量の私物が放置されている。これは、少なからぬ学生が閲覧席を勉強スペースとして使用する一方で、席を確実に確保し、また勉強道具を運搬する手間を省くために、閲覧席を私物化しているものと推定される。当然、このような行為は容認されていないのだが、当局も繰り返し警告するばかりで、実際に私物を撤去するなどの措置を講じてこなかったために、不正な占拠が常態化してしまったのである。さすがに最近では、入口付近の閲覧席については私物を撤去すると公式に宣言されたが、これでは、奥の方の閲覧席については私物化を暗に認めていることになる。
また、鶴舞キャンパスには「旧西病棟」という古い建物があり、まもなく解体される。この建物の四階には 10 室ほどの「ゼミ室」があり、予約して鍵を借りることで誰でも使用できる、ということになっている。しかし実際には、これらのゼミ室は一部の者が私物を搬入して不法に占拠し、「部外者」が使用することはマナー違反とされていたらしい。彼らが留置している私物には暖房器具なども含まれていたため、防災上の重大な懸念があったが、大学当局、すなわち学務課は、これについて警告を繰り返すのみで、実際の措置は何ら講じてこなかった。
彼らがこのように不法占拠を行う背景には、自習室がないなど、鶴舞キャンパスの劣悪な学習環境がある。そこで一部の学生は、個別に大学当局と交渉し、彼らだけのための居室を確保することに成功した。これは、形式的には正当な手段で確保されたものではある。しかし、自分達だけ居室が欲しい、などと特別扱いを要求する学生側も厚顔ではあるが、それを容認する当局は、一体、何を考えているのか。
このように、不公正ではあるが正当に確保された「居室」には「編入生研究室」も含まれる。これは、その名が示す通り、編入生のための居室である。いかなる名目で貸与されているのかは、わからぬ。ひょっとすると、編入生はカリキュラムが変則的であるために、組織学の自習のための部屋として貸与されているのかもしれないが、実際には、ほとんど、そのような使い方はされていない。私も編入生であり、この「編入生研究室」を使用しており、蔵書を蓄えるための本棚も置かせてもらっている。
さて、上述のような状況において、私が「編入生などの一部の学生だけ特別に居室が与えられている現状は、正直、どうかと思われる」という趣旨の発言をすると、大抵、「そう思うなら、編入生研究室を使わなければよい。」などという指摘が返ってくる。これは詭弁であり、論点のすりかえである。イチイチ説明するのも馬鹿らしいが、敢えて述べれば、私は「私は使いたくない」と言っているのではなく、「皆、使うべきではない」と言っているのである。これに対する反論として「君が使わなければ済む」などというのは、論理が破綻している。また、もし実際に私が編入生研究室の使用権を放棄した上で同様の主張をしたならば、今度は「君も編入生研究室を使えば良い。」などと言われるであろう。「君も編入生研究室を使う権利を保有しているのに、一体、何の不満があるのか」というのである。彼らの基本的な考え方は、「他人のことに口を出すな」ということなのだろう。
要するに彼らには、公正さ、英語でいうところの fairness という概念が欠落しているのだ。医師の卵として、たいへん立派な倫理観である。