これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
たまには医学と何の関係のない話を書いても良いだろう。最高裁判所で、夫婦別姓を認めない現行制度は違憲とはいえない、という判決が出た、という件についてである。同時に、離婚後に女性が再婚できない期間を 6 ヶ月とする民法の規定については違憲との判断が出たらしいが、これは医学的観点からいって当然に過ぎ、議論の余地がないので、触れない。
夫婦の姓について、現行民法では第 750 条に「夫又は妻の氏を称する」とあり、どちらかの姓に統一せねばならない、ということになっている。これについて「夫の姓に統一せねばならない」などと誤解している人が稀にいるらしく、よろしくない。どちらに統一するかは、夫婦間で協議して決めることであって、制度上は自由なのである。なお、姓と氏は、本来は別のものであるが、現代日本においては区別されない。
しかし実際のところは、夫の姓に統一する例が多いようである。キチンとした統計は知らないが、だいたい 9 割方は夫の姓にするらしい。そこで、結婚したからといって改姓を強要されるのは人権侵害だ、というような主張がでてくるのである。これに対する今回の判決を読んだわけではないが、新聞などの報道をみる限りでは、制度上は男女平等であり、明らかな憲法違反とはいえない、という主旨のようである。
これは、不当判決である。確かに、制度上は男女平等である。しかし実際の社会的関係において、事実上、女性が一方的に改姓を強要されていることは明白である。そうした現実がある以上、国は、これを是正する法制度を設けねばならない。それを怠り、形式的な平等だけを定めている民法第 750 条は、憲法第 14 条に違反していると言わざるを得ない。実際、最高裁でも 15 人の裁判官のうち女性裁判官 3 人全員を含む 5 人が違憲との判断を下したらしい。
ただし、これについて「アイデンティティが云々」「人格を否定されているようで云々」などと主張している一部女性の意見には、全く賛同できない。戸籍上の姓名と、個人の人格に、一体、何の関係があるのか。
そもそも、人が、ただ一つの氏名しか持ってはいけないという決まりはない。たとえば明治維新の頃に活躍した木戸某という男をみると、姓も和田だの桂だのとよくわからないし、名も孝允だの小五郎だの準一郎だの、コロコロと変えている。ナントカ金之助とかいう作家は、なにやら格好つけて「漱石」などと称していたし、現代でも、鈴木某という野球選手は「イチロー」という名前で選手登録していた。名前などというのは、その程度のものなのであって、戸籍に何か書いてあるとしても、それは行政上の便宜のために過ぎない。我々の人格や社会生活には、関係のない話なのである。
変名を使うのは、何も有名人に限ったことではない。工学部時代、私の所属していた物理工学科原子核工学サブコースには、Alex というミドルネームのようなものを使っている日本人の教員がいた。他の教員からも「アレックス」と呼ばれ、浸透していたようである。これを特に意識したわけではないが、私も、あるイタリア風の名前を、あちこちで使っている。この変名を試験の答案用紙に書こうとしたこともあったが、さすがに学籍と一致しないために不正行為を疑われては困るから、学籍名の方を書いた。
私の同級生にも、在学中に結婚して戸籍名が変わった女性がいる。彼女自身は、新しい戸籍名の方を学生生活全般で使っているようだが、私は、相変わらず昔の姓で呼んでいる。これが失礼なことだとは思わないし、以前、本人に確認したところ「どちらでも良い」という返答であったので、馴染みのある方の姓で呼ぶことにしたのである。
最後に、まったくどうでも良い話であるが、私は独身であるけれども、もし結婚する機会があるなら、ぜひ相手側の姓に変えたい。この、今の姓は、どうにも好かぬ。