これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
放射線医学の試験に合格した。受験者は全員合格であった。アレで合格とは、かなり、合格基準が緩かったものと思われる。
少なくとも名古屋大学においては、医学科生のかなりの部分が、「将来の役に立つこと」に集中して勉強しようとしているように思われる。確かに、役に立たないことを勉強する必要はないのだが、問題は、何を基準に「役に立つ」か「役に立たないか」を判定しているのか、ということである。たぶん、予備校講師や、悪い先輩の言うことを鵜呑みにしている例が多いのではないか。彼らのようにガイドラインに「忠実に」従ったマニュアル診療を行う限りは、基礎医学などの系統的な理解は不必要である、という認識であろう。しかし実際には、ほとんど全てのガイドラインには、「このガイドラインに盲従するな」という意味の記載がなされているし、教授陣をはじめとしてエラい先生方は、ほとんど例外なく「系統的な学識が重要である」という旨のことを説諭している。要するに、その種の学生は、甘い言葉、都合の良い言葉だけを選んで耳に入れているに過ぎない。
最も重大な問題は、多くの医学科生が、物理や数学を学んでいない、という現状である。物理がわからないのだから、生理学もわかるはずがなく、丸暗記で試験だけ誤魔化すことになる。その結果、たとえば「血圧」という概念を、ほとんどの者が理解しない。「圧力」という言葉を、日常的な感覚で「押す力」ぐらいの意味でしか捉えていないから、自分が臨床現場で何を測定しているのか、わからないのである。また、初等的な数学もわからないから、CT や MRI が何をやっているのかもわからない。従って、それらの画像が真に意味するところを理解できず、「T2 強調像で白いのは脳梗塞である」などという、論理の飛躍した危険な丸暗記に依存することになる。
たとえば大動脈弁逆流について「血液が大動脈からも左房からも左室に流入するのだから、左室は拡張する。血液がたくさん流れ込むのだから、左室圧も上がる。」などという論法に遭遇したことがある。無茶苦茶である。論理が全然つながっていない。「だから」の前と後の関係を、誰か、説明できるだろうか。また、重症大動脈弁逆流症においては、大動脈内バルーンパンピング (Intra-Aortic Balloon Pumping; IABP) は禁忌とされているが、その理由を正しく説明できる学生は稀である。「逆流量が増えて心不全が増悪するから」というのは、論理が飛躍していて、説明不足である。このように理屈を抜きに結論だけ丸暗記すると、本当は IABP を施行するべき状況であっても、適切な判断ができない。結果、不適切に患者を苦しめ、時には死なせることになる。しかも、患者を死なせた医師は、それが自身の過失であることを自覚できない。
大動脈弁が閉鎖不全である場合、なぜ、逆流が起こるのか。弁が開いているだけでは、大動脈から左室に血液が流入するとは限らない。流入が起こるのは、大動脈の圧が上がったか、あるいは左室の圧が下がったかのために、大動脈圧が左室圧を上回った時のみである。しかし大動脈の圧を上げる機構は存在しないから、現実的には、左室圧が低下し、大動脈圧を下回った時にのみ逆流は起こる。具体的には、こうした左室圧の低下は、心室筋の弛緩によって起こる。
次に、逆流の有無が拡張末期心室容積に与える影響を検討する。まず、拡張期のうち、心房収縮期の開始時点について考えよう。この時点の心室容積は、リモデリングが起こっていないとすれば、逆流の有無にかかわらず、概ね等しいであろう。厳密にいえば、肺静脈や左房の圧よりも大動脈の圧の方が高いであろうから、その分だけ、逆流がある場合の方が容積は大きい。この「余分に心筋が進展されている」ことによって生じる圧と、大動脈圧が、だいたい釣り合うはずである。「だいたい」というのは、現実には平衡が達成されているという保証はなく、大動脈圧の方が少しだけ高いかもしれない、という意味である。
この状態から、左房が収縮し、血液を左室に送り込むわけである。心房収縮期の開始時点では、逆流がある場合の方が、左房容積は僅かに大きいかもしれない。なぜならば、心室に流入した血液のうち少なからぬ部分は大動脈から供給されたために、左房から左室に既に流入した血液量が比較的少ないからである。しかし、この時期には心房は完全に弛緩しているのだから、左房に流入する血液量と左房から流出する血液量は概ね等しいはずであり、左房の容積は、ほとんど変わらないであろう。さて、心房収縮により血液が心房から心室に至り、両者の圧が等しくなると、僧帽弁は閉じる。このときの心室体積は、どうであろうか。リモデリングがないならば、心室容積と心室圧は一対一に対応する。左房容積と左房圧も一対一に対応する。従って、僧帽弁が閉鎖する時点の左室容積は、逆流があろうとなかろうと、だいたい同じである。
すなわち、大動脈弁逆流自体は、拡張末期の左室容積を、ほとんど増加させない。ただし生理的には、大動脈弁逆流は心不全を来すため、心室や心房に、リモデリングや肥大などの代償性変化を生じる。左室容積の拡大や、左室圧の上昇は、専ら、この代償機構に依る。
さて、本題の IABP である。これを「心室拡張期にバルーンを膨張させ、心室収縮期にバルーンを収縮させる」と理解している人は、認識が甘い。正しくは、「大動脈弁が閉鎖したる後にバルーンを膨らませ、大動脈圧が十分に低下したる後にバルーンを収縮させる」というものである。この両者の違いがわからない人は、循環器生理学を勉強しなおす必要がある。バルーンの収縮は、大動脈弁が開くよりも少しだけ早いことが望ましい。
大動脈弁閉鎖後にバルーンを膨張させる目的は、上行大動脈の血圧を上昇させ、冠状動脈血流を増加させることにある。「平均大動脈圧を上昇させる」というような記述をしている文献もあるらしいが、「平均大動脈圧」なるもの自体に生理学的意義はないので、適切な説明とはいえない。一方、大動脈弁が開く直前にバルーンを収縮させるのは、左室圧よりも大動脈圧を十分に低くすることにより、心筋の収縮に要するエネルギー、すなわち ATP の消費を抑えることである。その意味においてはバルーンの収縮はもっと早くても良いのだが、そうすると冠動脈の血流が減少してしまう。それ故に、収縮は大動脈弁開口の直前に行うのである。「後負荷」などの用語を使って説明する教科書もあるようだが、私は「前負荷」とか「後負荷」とかいう言葉は極力、使わないことにしている。というのも、これらの概念は心臓の働きを簡略化したモデルにおいて定義されたものであり、生理学的・解剖学的な実体と完全には一致していないからである。
さて、重度の大動脈弁逆流がある場合に IABP を施行すると、どうなるか。バルーンの膨張により、冠状動脈の血流だけでなく、大動脈弁を逆流する血液量も増えるだろう。従って、冠状動脈の血流増加は、逆流がない場合に比べ乏しく、すなわち IABP による利益は少なくなる。一方、先に考察したように、逆流そのものは拡張末期心室容積の増大を来さない。また、一回心拍出量は増加するものの、それはバルーン収縮によるアシストの結果なのだから、心筋への負荷は増加しない。この意味では、大動脈弁逆流に対して IABP を行ったからといって、直接的に心不全を来すことはない。
ただし、バルーンの膨張は下行大動脈以下、特に腎臓への血流量を減少させる。そのため、アンギオテンシンやアドレナリンなどを介する機序により、血管や心筋のリモデリングが亢進し、結果として心不全が進行する恐れがある。このリスクの程度は、大動脈弁逆流の有無に関係ない。
以上をまとめると、逆流の有無にかかわらず、IABP により心不全が進行するリスクはある。一方、逆流があると IABP の利益が減少する。特に、重症大動脈弁逆流においては、ほとんど利益がなくなるかもしれない。従って、重症大動脈弁逆流がある場合には、IABP を行うべきではない。