これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
あたりまえのことであるが、「格」といっても、偏差値がどうとか、論文数がどうとか、ましてや論文の被引用数がどうとかいう話ではない。教育機関としての格、水準についてである。
私は、名大医学部学友会のメンバーである。この学友会というのは、要するに同窓会なのであるが、厳密には「医学部の同窓会」ではなく「医学科の同窓会」であるらしく、保健学科の卒業生などは含まれていないようである。いささか不適切な名称であろう。この学友会は、毎月「名大医学部学友時報」という小冊子を刊行している。この学友時報 2017 年 8 月号をみて、気になったことが二つある。そのうち一つは、また後日、紹介しよう。もう一つの方は、名大医学部の某教授が寄稿した「『ものの言い方』」という記事についてである。
これは、その教授が中学一年生であった時の思い出話である。試験で「1 週間の最初の曜日を書きなさい」という問いに対し、若き日の教授は Monday と解答したが、正解は Sunday であるとされ、減点を受けたらしい。教授は抗議したが、教師は「外国は教会でお祈りをして 1 週間が始まるのだ」と答えた。それに対し教授は「でもここは日本ですよ」と反抗したが、受け入れられなかった。さらに後日、月曜日から始まるカレンダーを持って行ったが、ダメであった。そのさらに後日、その教師に偶然会った際「やはり日曜日が日本でも一般的になっているよ。それよりも授業中に、あのような言い方はダメだよ。気持ちはよくわかるけど、言い方ひとつで受ける印象が違ってくるから。いろいろと損をするよ」と言われたそうである。教授は、当時は教師の言うことを理解できなかったが、後に大学に入った後、別のエピソードをきっかけに理解できたという。「医者になって 30 年以上たつが、外来診療、IC など、また他科の先生方や、同僚などの人間関係に大いに役立っている。」と結んでいる。
このあたりが、名古屋大学の限界である。そもそも週の始まりに明確な定義はないし、コンピューターに詳しい人であれば ISO 8601 では週の始まりが月曜日とされていることを容易に想起するであろう。それを別にしても、上述の教授の逸話に登場した教師は発想の柔軟さを欠いている。曖昧な出題をした自らの過ちを認めることができない小人であり、教育者としての水準は高くない。それを、あたかも立派な教えを受けたかのように記している教授の見識についても、残念ながら、いささかの疑念を挟まざるを得ない。
我が母校、麻布中学・高校であれば、「月曜日で始まるカレンダーを示すことにより教師に『なるほど』と言わせ、試験の点数が修正された」という逸話ならありえても、「言葉遣いに気をつけろ」などというくだらない「教え」が大事にされることは、あるまい。麻布であったか開成であったか、いずれにせよ質の高い教育を行っている中学・高校には、たとえば次のような逸話が多数、残されている。地理の試験で島の名前を答えさせる設問に対し「エロマンガ島」と書いたところ、教師は「ふざけているのか」と怒った。しかし、その生徒は地図帳を示し、そのような名称の島が実在することを説明した。すると教師は「なるほど」と納得した、というのである。
教育とは、既存の枠組に生徒や学生をあてはめることを言うのではなく、生徒や学生が秘めている可能性を解放し、自由に伸びさせることをいう。麻布中学・高校では、実にすばらしい教育が行われていたし、京都大学も、悪くはなかった。しかし私は、名古屋大学で本当の教育を受けた覚えがない。