これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
医者と称する人々の中には、医学を修めていない者も少なくない。治療の目的は何なのか、ということをはっきりさせないまま「肺癌だから治療しなければならない」とか「ステージ IV の○○癌に対する治療法は△△である」というような、安易な決めつけで患者を弄ぶ者も少なくない。ガイドラインとか「標準治療」とかいうものの位置付けを、全然わかっていないのである。
そういう問題とは別に、そもそも「癌だから放置したら大変なことになる」という論理も正しくない、ということを昨日、紹介した。そこで我々が知りたいのは、ある患者に小さな浸潤性乳癌がみつかった場合に、それが「放置したら大きくなる癌」なのか「放置しても大きくならない癌」なのかを鑑別する方法である。
この両者を識別することが原理的に可能であるかどうかは、わからない。ひょっとすると、大きくなる癌と大きくならない癌の間には、初期の段階では何らの違いもないのかもしれぬ。最初は全て「大きくならない癌」なのであって、後になって何か偶発的な事情、たとえば何か特定の変異が生じたものが「大きくなる癌」に転じるのかもしれぬ。その場合、発見した時点で「これは大きくならない癌です」と断言することは、原理的に不可能である。
一方、「大きくなる癌」と「大きくならない癌」が、実はかなり早い段階で分かれており、浸潤能を獲得した段階では既に、概ね未来が決まっている可能性もある。その場合、何か適切な観察方法を用いれば両者を鑑別できる可能性がある。真相が不明である以上、そうした鑑別の可能性に期待して探究模索を行おうとするのは、科学者として、医師として、あたりまえのことである。
後者の可能性に期待することには、一定の理論的根拠がある。Burkitt リンパ腫のように細胞分裂とアポトーシスを高頻度に繰り返す腫瘍を別にすれば、「大きくならない腫瘍」というのは「あまり細胞分裂しない腫瘍」であろう。「腫瘍」という語は、単に「外部からの刺激に依存せず増殖する」というだけの意味であって、増殖の速さについては言及していないことに注意を要する。あまり細胞分裂しない、ということは、常識的に考えれば、ゲノムに変異が蓄積しにくい、ということである。従って、もともと「大きくならない癌」が、やがて変異を獲得して「大きくなる癌」に転じる、ということは、滅多にないように思われる。そうしてみると、「大きくならない癌」と「大きくなる癌」との間には、初期の段階において既に、何か決定的な差異があると想像するのが自然である。
もし両者が鑑別可能であるなら、常識的に考えて、それは我々病理医の仕事であり、生検に基づく判定を行う必要があるだろう。血液検査や画像検査で、そうした繊細な差異を鑑別できるとは思われないからである。しかし現状では、発見された浸潤性乳癌は基本的には全て治療されてしまうから、それが「大きくなる癌」であったのか「大きくならない癌」であったのかは、わからない。では、どうやって研究するのか。
解剖である。乳癌とは関係のない、別の原因で亡くなった人を、解剖させていただくのである。そのとき偶発的に、小さな浸潤性乳癌がみつかることもあるだろう。そういう乳癌に何か共通した性質がないか、と、詳しく観察するのである。我々は病理解剖をするとき、そういう目で患者をみなければならない。臨床経過で問題があった点だけをみて、臨床医の希望に答えるだけでは、不足なのである。
こうした観察は、その亡くなった人のためではなく、未来の患者のために行うものである。病理解剖には、そうした意義があること、そして現実にいかなる成果が挙がっているかということを示せれば、少なからぬ患者は、解剖に同意してくれるのではないか。実際、我々が学生や研修医として患者に会うと、「私をよく診て、しっかり勉強してください」と言ってくれる患者は、多い。学生や経験の乏しい素人同然の研修医に身体診察されることが愉快であるはずはない。それなのに、未来の誰かのために、と、我々に協力してくれるのである。我々に協力する、というよりも、我々を通して、どこかの誰かを助けたいと思っている、というべきかもしれぬ。そういう篤志家は、現在の日本においても、少なくないのである。それならば「解剖されるのは嫌だけど、それが本当に未来のため、他の人達のためになるのなら、よろしい」と言ってくれる患者が、それほど少ないとは、私には思われない。
すなわち、現在、病理解剖承諾率が低迷している主たる原因は、解剖の意義を臨床医や遺族が納得していないことにある。つまり、その意義をキチンと示すことができていない、我々病理医の責任なのである。