これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
糖原病 glycogen storage disease というのは、遺伝性の障害によって、異常な量または形態のグリコーゲンが蓄積する疾患の総称である。むろん、原因となる遺伝子異常は多様であり、それに基づいて型分類されている。頻度の高いのは I 型であって、これはグルコース 6-リン酸ホスファターゼの機能障害によるものである。この酵素は、名称から想像される通り、グルコース 6-リン酸を加水分解により脱リン酸化し、グルコースを生成するものである。この酵素の生理学的意義については、ここで説明する余裕がないので、生化学の教科書を参照されたい。『シンプル生化学』のような初等的な教科書にも、一通りのことは記載されているはずである。
糖原病 I 型の臨床的な表現型としては、肝や筋だけでなく、腎にもグリコーゲンの蓄積がみられる、ということは朝倉書店『内科学』第 11 版などの臨床的な参考書にも記載されている。問題は、なぜ腎にグリコーゲンが蓄積されるのか、ということである。腎病理学の教科書である Jannette JC et al., Heptinstall's Pathology of the Kidney, 7th Ed. (Wolters Kluwer; 2015). は、尿細管にグリコーゲンを豊富に含む細胞がみられる、とのみ述べており、機序はおろか、それが尿細管のどの部位なのかすら言及していない。
この記載の根拠として Heptinstall が引用しているのは Pediatr. Nephrol. 19, 676-678 (2004). である。これは糖原病 I 型の症例報告であって、尿細管上皮は、グリコーゲンを多量に含んでいることの他、TGF-β を高発現しており、これが間質の繊維化、ひいては腎障害につながっているのではないか、と述べている。これについて、著者らは次のように述べている。三箇所の下線は私が付したものであり、その意味は後述する。
Futile cycles within glycolysis, glycogen synthesis, and glycogenolysis occur, depleting high-energy phosphate.Many of the intracellular processes of the renal tubules are adenosine trinucleotide phosphate dependent and are consequently impaired.
(糖原病 I 型では) 解糖系、グリコーゲン合成、グリコーゲン分解のサイクルに異常が生じ、ATP が欠乏する。腎尿細管の細胞内で起こる現象の多くは ATP 依存的であるから、結果として腎尿細管障害が起こる。
生化学や生理学を理解している人であれば、首をかしげるであろう。糖原病 I 型で障害を来しているのはグルコース 6-リン酸ホスファターゼであるから、グリコーゲンの分解は問題なく行えるはずである。従って、少なくともグリコーゲンの蓄積を来している尿細管上皮細胞の中には、グルコースはむしろ過剰に存在するはずであり、ATP が欠乏するとは考えにくい。尿細管傷害を ATP 欠乏によるものとして説明するのは無理がある。著者らは、一体、どうして、このような記述を行ったのか。
その理由は、この記載の根拠として著者らが挙げた参考文献である Pediatr. Nephrol. 9, 705-710 (1995). を読むと、わかる。これは、糖原病 I 型においてみられる腎障害の様式を臨床的に調べた報告であり、著者の P. J. Lee らは、次のように述べている。
Futile cycles within glycolysis, glycogen synthesis and glycogenolysis occur depleting high-energy phosphate.Many of the intracellular processes of the renal tubule are adenosine trinucleotide phosphate dependent and consequently impaired.
おわかりか。先に紹介した Pediatr. Nephrol. の記載は、Lee らの記述に「,」と「are」を加えただけで、丸々コピーしたものなのである。いくら参考文献として Lee らの報告を挙げているとはいえ、こういうやり方は、科学倫理に反するものではないか。しかも、自分の観察結果とは矛盾する内容を丸コピーしたのだから、理解できない。なお、この Pediatr. Nephrol. の報告は日本の某地方大学の小児科学教室によるものである。
結局、尿細管上皮の障害は、ATP 欠乏によるものではなく、むしろ細胞内に異常に多量のグリコーゲンが蓄積したことによると考えるのが自然であろう。