これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
クリスマス休暇を挟んだため、少し間があいた。
臨床検査結果を、キチンと評価してカルテに記載する医師は少ない。評価はしているが、忙しいから細かくはカルテに記載していないのだ、という言い訳をする者もいるが、大抵の者は、キチンと評価していない。
たとえば前回書いたトロンボポエチンの話である。臨床的に、多少の血小板増多がみられたとしても、多くの医師は「問題ない」と判断し、カルテに何も記載しないと思われる。学生時代、私は、具体的に何であったか忘れたが、血液検査の何かの項目の軽度の異常をみて、理解しかねて指導医に「なぜ、このような異常値が出ているのでしょうか」と問うたことがある。すると指導医は「その程度の異常は、よくあることだから、気にしなくてよい」と述べた。冷静に考えれば、「よくあるかどうか」と「気にするべきかどうか」は関係ない。要するに、その指導医は、何も考えていなかったのであろう。
学生や研修医であれば、細かな検査所見についても「なぜ?」「どうして?」と疑問を持ち、解決に努めるべきである。そのためには、前回述べたようなトロンボポエチン産生の調節機構についても、必然的に、関心を向けなければならぬ。それを「臨床的には重要ではない」と安易に切り捨てる者は多いが、一体、諸君は何を学んでいるのか。
一応は検査結果を評価し、カルテに記載はしていても、その思考過程を明確には書かない医師もいる。「○○の測定結果から、△△病ではない」などと簡潔に記すスタイルである。まぁ、その判断が自明であるような場合には、それでも良いかもしれぬ。たとえば「ヘモグロビン値が 15.2 g/dL であったから、貧血ではない」という論理には、ほとんど隙がないといえる。それでも、細かいことをいえば、高度の脱水があれば貧血でもヘモグロビン値 15.2 g/dL という結果はあり得るから、注意は必要である。さらに問題が大きいのは、論理が明確でないにもかかわらず、思考過程を省略している場合である。
たとえば、多血症、つまりヘモグロビン値が 20 g/dL などと異常高値の患者について原因を精査したところ、肝腫瘤がみつかったとする。もしやエリスロポエチン産生腫瘍ではないか、と考え、血清エリスロポエチンを測定して、結果は 20 mU/mL であったとしよう。医学書院『臨床検査データブック 2017-2018』によれば、基準範囲は概ね 8-30 mU/mL である。そこで不勉強な医者は「基準範囲内だから、エリスロポエチンは異常高値とはいえない」と考え、カルテに「エリスロポエチン産生腫瘍ではない」などと書くかもしれぬ。
むろん、この考えは誤りである。エリスロポエチンの産生は、生理的にはヘモグロビン濃度、正確にいえば組織への酸素供給の程度に応じてフィードバック制御を受けている。両者の関係については、「臨床検査データブック」366 ページや、Aster JC et al., Pathophysiology of Blood Disorders, 2nd Ed. (McGraw Hill; 2017). の 20 ページの図を参照されると良い。すなわち、ヘモグロビン値が 20 g/dL もあるような患者では、このフィードバック系が保たれているならば、エリスロポエチンは低値になる。それが 20 mU/mL もあるならば、フィードバック系が破綻しているといえる。エリスロポエチン産生腫瘍を強く疑う所見なのである。
それを単に「エリスロポエチン産生腫瘍ではない」とカルテに書かれてしまうと、読んだ側は、困る。その医者が不勉強ゆえに間違えているのか、それとも何か別の深遠な思慮の末に「エリスロポエチン産生腫瘍ではない」と結論したのか、わからないからである。カルテは他の医療従事者や患者本人が読むための記録である、という基本を忘れてはならぬ。