これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2019/06/14 統計の魔術 (3)

では、どのように統計処理をすれば良かったのか。解析方法を決めるには、まず、臨床試験の本当の目的は何なのかを、厳密に考える必要がある。

考えの浅い人は「ステロイド吸入とプラセボで差があるかどうかを調べたいのだ」などと言うだろう。では、ほんの少しの差でもあれば良いのだろうか。患者 100 万人あたり 1 人に、ほんの僅かな呼吸機能の改善がみられる、というものでも「差がある」とみて良いのだろうか。

何をもって「差がある」とするのかは、数学や生物学で決められるものではない。社会的要請や経済的事情から、総合的に判断せねばならない。医学というのは、純粋な自然科学ではなく、多分に人文科学的要素を含むのである。

医療経済を考慮して、たとえば 5% の患者で症候の改善がみられた場合に「差がある」と判定することにしよう。そうすると、あとは数学の問題である。プラセボのステロイド吸入に対する非劣性試験に通過すれば「プラセボは、ステロイド吸入に対して、劣っているとしても症候の改善率にして 5% である」と言うことができる。つまり、プラセボはステロイド吸入に対して、有意に大きく劣ってはいない、ということになる。この場合、医療経済をふまえて「ステロイド吸入は効果が乏しいから、やめた方が良い」と主張することができる。今回の臨床試験では、著者らはステロイド吸入の効果が乏しいことを示したかったのだから、こうした非劣性試験を行うべきであった。

あるいは逆に、ステロイド吸入のプラセボに対する優越性試験に通過すれば「ステロイド吸入は、プラセボに対して、5% 以上の症候改善が見込める」と言える。この場合は、ステロイド吸入を推奨する統計学的な根拠となる。どちらの試験も通過しなかった場合は「有意差なし」あるいは「有意差はあるが、差は不明瞭である」としか言えず、意味がない。なお、両者が本当に同等であることを統計的に示すことは、原理的に不可能である。

ここで述べた、非劣性試験とか優越性試験というのは、製薬に関係している人々にとっては常識であろうが、医師の中にはよく理解していない者も多いであろう。インターネット上にはこれらを解説した文書も少なくないが、いいかげんな説明も多いので、注意されたい。いずれ、この日記でも説明するかもしれない。

(次回に続く)

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