これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2019/08/17 呪術師と製薬会社

前回の記事で、医師の多くが統計学を知らぬことについて書いた。今回は、それについて少しばかりの補足を行おう。

医師の中には、「確かに横断研究やコホート研究では因果関係の証明にはならないが、厳密に因果関係を示すのは容易ではない。相関関係がある以上、実臨床としては、因果関係の存在を推定ないし仮定して対応するのは現実的である。」などと抵抗する者もいるかもしれぬ。が、そのように弁明する者は、医学を武器とする医師としてよりも、呪術師として働いた方が適任である。

というのも、患者の家族が熱心に神に祈り、心を尽くして祈祷するような場合、そういう看護者を持たぬ孤独な患者に比べて、たぶん、予後は良好である。これは、熱心な看護者がいる方が予後良好、というだけのことであり、祈るか祈らないかということ自体は予後に影響しないであろう。しかし、コホート研究であれば祈祷と予後の相関を示すことができるので、上述の「現実的」な論法を認めるならば、「祈祷は患者の予後を改善する」ということができる。呪術や祈祷には統計的エビデンスがある、というわけである。

歴史的には、このような誤った論法がなんとなく、経験的に受け入れられてきたがために、呪術や祈祷、あるいは魔術や錬金術が、長らく幅を効かせてきたものと思われる。それらを排除し、論理的な妥当性のある検証に基づいて物事を判断すべく発展したのが科学であり、我々の現代社会である。医学は科学の一分野であり、上述のような呪術的論法を用いる者は、医者とはいえぬ。

このような呪術的論法を積極的に用いるのが、製薬会社の営業担当者、いわゆる MR (Medical Representative) である。彼らは、我々に対し、このような臨床試験のデータがある、と、学術風のデータを示して、自社製品の素晴らしさを説くのである。従来薬より効果が高い一方で有害事象には有意差がなかった、とか、従来薬と比較したコホート研究で優秀な治療成績が認められた、とかいう具合である。

製薬会社の人々は、医科の連中に比べると、ずっと詳しく統計学を修めている。一般の MR はともかく、研究部門の人々であれば、統計学の表も裏も知り尽くしているであろう。さらにいえば、「望ましい結果」を得るための小技を熟知しており、それらを駆使して、試験データの蒐集を行っているようである。たとえば、新薬による有害事象をみるためには、統計誤差が大きくなるように試験を設計することで「有意差なし」という方向に持っていくし、薬物動態解析にあたっては、実測値とうまく合致するようなシミュレーションモデルを構築し、そのモデルの非現実的な点を無視するのは常套手段である。

製薬会社の研究員が、昨今の厳しい競争社会を生き抜くために、苦渋の決断として、かかる呪術的論法や魔術的解析を用いることは理解できなくもない。しかし、もし医師が無知ゆえに、その呪術や魔術を看破できず、不適切な治療を患者に施した場合、その責任は誰に帰するのか。諸君は、製薬会社がそう言ったのだから私の責任ではない、と言えるのか。


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