これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
諸外国の実情は知らぬが、少なくとも日本において、医師や医科学生に対する統計学教育は貧弱である。臨床医療において、是非はともかく、統計に基づく「エビデンス」が重視されているのに、医師は、その統計を学問的に修得していないのである。
ところで Medical Tribune というのは、無料の医療業界紙である。会員制だがオンラインでも無料で読めるようであるし、紙媒体も広く無料配布しているようである。私は特に申し込んだわけでもないのに、なぜか私宛で病院にも送られてくる。なぜ無料なのか、どういうビジネスモデルなのかは、知らぬ。
この業界紙の記事は、あまり高尚でも学術的でもない。以前にも紹介したが、いささかセンセーショナルにみえる学術論文を、充分な吟味も批判もなしに、ただ紹介するような記事が少なくない。その Medical Tribune の 2019 年 8 月 1 日号の一面に「大気汚染 長期曝露で冠動脈石灰化増」とする記事が掲載されていた。私は普段、この業界紙を読まないし、この記事にも興味はないのだが、世の医師連中が統計学を知ったかぶっていることを示す好例であるので、敢えて取り上げよう。
この Medical Tribune の記事が話題にしているのは JAMA Netw Open (2019; 2: e196553) であるらしいが、私は、原本を確認していない。記事によれば、これは中国において、患者の居住地における PM2.5 などの大気汚染物質濃度と冠動脈石灰化との関係を調べた横断研究の報告であるらしい。この時点で、さして読む価値のある論文とは思われないことがわかる。
横断研究というのは、時間経過を考えずに、ある時点において、二つの事柄の関係を調べる、という研究方法のことである。これは、その二つの事柄の間に「何らかの相関」があるかどうかを調べるものであって、因果関係の有無は、当然ながら、わからない。たとえば今回の例でいえば、大気汚染の結果として冠動脈石灰化が起こっているのかもしれないが、そうとは限らない。大気汚染のひどい所に住むような人は経済的に貧しい傾向にあり、食生活が不健康になりがちであり、その結果として冠動脈が石灰化するのかもしれない。あるいは、冠動脈石灰化が起こると脳血流障害を来し、精神に異常が生じ、大気汚染のひどい場所に住みたくなる、という可能性も、否定はできない。
横断研究と同様にコホート研究も、物事の因果関係を考える根拠としては薄弱である。大気汚染の激しい場所に住んでいる人と、空気が清浄な場所に住んでいる人について、数年ないし十数年の後に冠動脈石灰化の程度を比較しても、大気汚染と冠動脈石灰化の相関はわかるかもしれないが、因果関係を示すことはできない。
それなのに、Medical Tribune は、横断研究を根拠に「大気汚染に曝露されると冠動脈が石灰化する」かのような書き方をしている。医師の中には、他にも、コホート研究を根拠に物事の因果関係を論じる者が、非常に多い。
諸君は医学科の学生時代に、疫学だか社会医学だかの授業で、横断研究やコホート研究の弱点について学んだはずである。その時に、交絡因子の影響云々だとか、相関関係と因果関係の違いだとかも、一応は勉強したはずであるが、結局、それは試験で点を取るための勉強でしかなかったのである。教科書の記載を咀嚼し吟味し批判しつくして、肚の底で理解することを、怠ったのである。その結果、実際の横断研究やコホート研究をみた時に、それを自身の頭脳で評価し解釈することはできず、権威ある (とされる) 人の発言を鵜呑みにするか、他者が書いた文章を丸呑みするかしか、できないのである。
諸君は一体、6 年間の時間を費して、何を学んだのか。