これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
だいぶ間隔があいてしまったが、本日から復帰する。
インフォームドコンセント、という言葉は、近年では、広く知られていると思う。しかし、この言葉の意味を、キチンと説明できる医師や患者は、少ないのではないか。新聞などでは、この言葉を「十分な説明と同意」などと表現しているようだが、「同意」はともかく、「十分な説明」とは何なのか、わかりにくい。
患者に病状や治療方針などの「説明を行うこと」を「インフォームドコンセント」あるいは略して「IC」と呼ぶ医者は少なくない。用例としては「今日の 16 時から山田さんに IC する」といった具合であるが、これは完全に誤りである。インフォームドコンセントというのは、英語で書けば informed concent であって、患者が行うことであり、医者が「IC する」のは、おかしい。
キチンと説明の時間を設けて患者に説明を行い、その上で患者が治療方針について同意することをインフォームドコンセントという、と考える者もいるようだが、これも正しくない。時間をかけて、患者や家族に対して病状説明をし、診断を述べ、治療方針を提案し、同意を得て、同意書に署名させたとする。これをもって「インフォームドコンセントを得た」と考えては、いけない。たとえば、その「インフォームドコンセント」の後に研修医が患者と話してみると「先生方はいろいろ説明してくれたけど、難しくてよくわからなかった」「難しいことは全部、先生にお任せします」などと言われることは少なくないのである。つまり、患者は理解せぬままに、言われた通りに同意書に署名したに過ぎない。これはインフォームドコンセントを欠いている典型例である。
インフォームドコンセントとは、患者が、自分の病状、診断および治療方針について、その判断根拠も含めて理解した上で、診療の方針に同意することをいう。患者自身が理解している、ということが重要なのであって、説明されたかどうかは問題ではない。医療従事者の中には、「しっかり説明しているのに、わかってくれない」と不満を述べる者もいるが、それは説明の仕方が悪いのである。むろん、素人である患者に対して理解できるように説明するのは容易なことではないが、それを行うのが、諸君の職責である。
また、医師の中には、同意書の効力を過信している者が少なくないようである。同意書というのは、患者が同意したことを示す書類に過ぎず、理解した上で同意したことまでは示していない。だから、たとえば同意書に署名して手術を受けた後で「同意はしたが、キチンとした説明は受けていなかったのだから、その同意は無効である。インフォームドコンセントなしに手術された。自己決定権を侵害された。慰謝料を払え。」と訴えるのは適切である。特に、患者が「全部お任せします」と発言した旨がカルテに記載されている場合などは、インフォームドコンセントを欠いている証拠になるので、病院側の敗訴は間違いない。
では、真のインフォームドコンセントを得るためには、どうすれば良いのか。比較的簡単な方法は、患者に質問させることである。自分の体のことに無関心な患者というのは非常に稀であるから、自分は一体どのような病気なのか、どういう状態なのか、その治療をすればどうなるのか、あるいは治療しなければどうなるのか、といった疑問は、いくらでも抱えているはずである。そうした質問をたくさんさせて、それにしっかりと答え、それを記録に残すのである。そうすれば、患者にしっかりと説明した証拠になるし、仮に訴訟になっても、患者が理解していたと推定する根拠になる。逆に「患者からの質問はなかった」という記録が残っている場合、患者はキチンと理解していなかったのではないかと推定することができる。
では、質問はありませんか、と問うても「特にありません。大丈夫です。」などと言われる場合はどうすれば良いのか。それは、そもそも諸君の説明態度が悪い。質問したいことが一つもないなどということは、通常の判断能力を有している人間であれば、あり得ない。「全部わかりました。質問はありません。大丈夫です。」などと言っているのは、単に遠慮しているか、あるいは変な質問をして医師の機嫌を損ねることを恐れているに過ぎないのである。「質問しにくいセンセイ」と認識されてしまっているのである。
病状説明の場で患者に質問させることができていない医師は、医療面接の技術に問題がある。学生に戻った気分で練習し直す必要があるだろう。その場面をビデオに撮って、自分でみてみることも有用と思われる。