これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
医学とは関係の乏しい話である。昨日は流行語として人工知能の話を書いたが、本日は、最近の流行であるプラスチックごみ問題について書く。
プラスチックの廃棄物による海洋汚染が深刻であることが、近年、注目されている。また、プラスチックの微小粒子を特に「マイクロプラスチック」などと呼び、これが環境中に広く分布していることも問題とされている。この、いわゆるマイクロプラスチックが海水中や水道水にたくさん存在する、ということが指摘された後、ヒトの便中からプラスチックが検出されたとして、「消化管に到達している証拠を得た」という報告が報道された。しかし、海水や水道水にプラスチックが含まれているならば、ヒトの消化管の中をプラスチックが通過していることは明白であって、わざわざ調べるまでもない。脳や肝臓の中からプラスチックが検出された、というのならともかく、消化管の中からプラスチックが検出されたことをもって、まるで汚染の程度がより深刻であるかのように報道することは、無思慮な人々を扇動するだけのものであって、社会的意義は乏しい。
プラスチック廃棄物による環境汚染は深刻な問題であるが、そこで意識の高い人の一部に「プラスチックを使うのをやめよう」という意見があることが、理解に苦しむ。確かにプラスチックを使わなければプラスチック廃棄物は生じないが、しかしプラスチックを使っても、適切に廃棄すれば、環境汚染は極めて僅かなのである。たとえばスーパーでレジ袋をもらったとする。これを海岸や山中に不法投棄すれば、プラスチックによる環境汚染を引き起こす。しかし、たとえばゴミ袋として使うなどして、最終的に可燃ゴミとして燃やせば、二酸化炭素と水を生じるのみであって、地球温暖化を引き起こす恐れはあるが、プラスチックによる環境汚染は生じない。
厳密にいえば、可燃ゴミとして処理した場合でも、分子レベルでのプラスチックの破片は環境中に放出される。しかし、それはプラスチックの代わりに紙や金属を使っても紙片や金属片が放出されるのであって、どちらがより重大な問題であるかは、はっきりしない。また、プラスチックの代わりに紙を使えば森林を破壊するし、金属を使えば鉱山開発や金属加工に伴なう土壌汚染を引き起こす。どちらがマシであるかは、一概にはいえない。
一部の自治体では、プラスチックを不燃ゴミとして扱っているらしい。これは問題である。プラスチックというのは、化学的には炭化水素重合体の総称であり、昔は塩化ビニルなどが多かった。これは安易に焼却すると、いわゆるダイオッキシンなど有害物質が放出されるので、私が幼い頃は、プラスチックは不燃ゴミ、というのが基本であった。しかし現在ではプラスチックの大半はポリエチレンやポリプロピレンであって、これは焼却しても水と二酸化炭素にしかならない。燃やさない理由がないのである。これを不燃ゴミとして扱えば、処分場の汚染防止策が不充分であった場合には、環境中にプラスチックが漏出する。日本では処分場からの廃棄物の漏出は少ないと思われるが、世界的には、そうした防止策の不充分な処分場は少なくないようである。
ついでに書くが、プラスチックの「リサイクル」は、あまりキチンとしたリサイクルではない。信頼できる情報源が乏しいのだが、リサイクル推進派のウェブサイトなどによれば、プラスチックの「リサイクル」は、製造業の材料として再利用する分もあるものの、いわゆる「サーマルリサイクル」が少なくないらしい。これは、プラスチックを燃料として再利用するものである。つまり、リサイクルのために回収したプラスチックを、燃やしているわけである。それならば、はじめから可燃ゴミとして回収すれば良いではないか。わざわざ分別することで、回収車を余計に走らせねばならず、かえって環境負荷が増大している疑いがある。
プラスチックによる環境汚染が深刻だ、というのは、知性を有する大半の人が同意するであろう。しかし、その対策として「プラスチックを使わない」というのは、安易に過ぎ、有効性も不明瞭である。プラスチックを削減した結果として地球が沙漠化したのでは、何をしているのか、わからぬ。