これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2019/07/15 人工知能について

近年の流行語の一つに AI というものがある。Artificial Intelligence のことであって、日本語では人工知能と訳される。たとえば、AI が囲碁や将棋でトップクラスの棋士に勝った、というニュースは、しばらく前にだいぶ盛り上がった。医療分野においても、治療方針の決定や、あるいは病理診断や放射線診断において、AI が人間よりも正確で適切な判断のできる時代が近いであろう。

ここで問題は、AI, あるいは人工知能という語の定義の曖昧さである。世間での AI という語の使われ方をみると、どうやらコンピューターを使って何らかの判断をする場合に、そのコンピューター技術のことを AI と言っているようにみえる。そのコンピューターが、知能と呼べるような機能や働きを有しているかどうかには関係がない。

これは病理診断の場合において顕著である。現在 AI と呼ばれる技術は、大抵、組織像をパターン認識によって分類し、疾患を推定する、というものであるが、これは人間が病理診断する場合の態度とは、少しばかり異なる。人間の場合、パターン認識で疾患を推定する部分も少なくはないのだが、臨床所見と併せて、たとえば「この子宮内膜の変化はホルモン剤投与によるものである可能性を否定できない」であるとか、「内視鏡所見を考慮すると、サンプリングエラーを疑う」とかいう判断をすることもある。組織標本だけで診断しているわけでは、ないのである。

いわゆる AI による病理診断の技術開発の主流は、既に「正解」がわかっている症例のデータを大量に蓄積し、それに基づいて、新しい症例について診断を行うというものである。つまり、教師データなどと呼ばれる「正解」のデータベースが重要なのであって、いわば、先人と同様の診断する、ということを目標としている。病理診断学をキチンと修めていなくても、熟練の病理医と同様の診断ができる、というわけである。また、人間の目では気づきにくい微細な形態的変化を捉えることで、たとえば免疫染色を行わなくてもヘマトキシリン・エオジン染色で蛋白質の発現変化を推定できる、という利点もある。これが確立すれば、病理医は不要になり、臨床医と技師とコンピューターだけで正確な診断を行えるようになるであろう。

これらは、たいへん有用な技術であるが、コンピューターが知能を有しているわけではないし、何か知性的な思考をして診断をしているわけではない。これを AI などと呼ぶ医者は、科学を理解していないか、あるいは言語に無頓着であるかの、どちらかである。

病理医の中には、この、いわゆる AI 技術が発展すると、自分達の仕事が楽になるかのように期待している者も少なくないようである。しかし実際には、むしろ病理医が駆逐され、失業すると考えた方が良い。「AI を管理し責任を負う人間が必要だ」と言う者もいるが、それは技師で十分である。あるいは、医師がやるとしても、年収 500 万円か 600 万円程度の仕事であって、現在の病理医が享受しているような高給を期待すべきではない。

そうした時代にあって、現在の若い病理医は、どのような道を選ぶか。コンピューターの管理人に甘んじるのか。それとも、病変そのものを観察する、という病理診断の特性を活かし、疾患の本質に迫り、新たな疾患概念を確立する、医学研究者としての道を選ぶのか。

2019.08.08 脱字修正

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