これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
また、間隔があいてしまった。近頃、少しばかり心のゆとりがでてきたので、そろそろ日記の更新間隔を元に戻したいと思っている。
言葉を正しく使うことは、情報を正しく伝えるために重要である。しかし世の中には、曖昧で不適切な表現が多い。国語教育が適切に行われていないためであろう。私の医学科学生時代の同級生である某君は、ある時、私が旺文社の英和辞典を机上においているのをみて、「どういう辞書を使っているかをみれば、その人の知性がわかる」と、せせら嗤った。私は憤慨し、自宅から Oxford Dictionary of English を持ってきて、どうだ、と言った。確かに彼の言う通りであって、キチンとした英語を使おうと思うのであれば、旺文社の英和辞典では不足なのである。
近年ときどき耳にする言葉に「真逆」というものがある。元来、日本語にはそのような単語は存在しないのだが、どうも「正反対」という意味で使われるようである。では「真逆」と「正反対」は、全くの同義語なのか、それとも僅かに意味が異なる類義語なのか。あるいは「真逆」と「逆」は、何か違うのか。「真逆」という語を用いている人々は、そのあたりのことをよく認識せずに、なんとなく、その言葉を使っているのではないか。他に気になる単語としては「空気感」がある。この単語の意味はよくわからないのだが、どうも「場の雰囲気」というような意味で使われることが多いように感じられる。「雰囲気」を意味するであろう単語には、他に「オーラ」というものがあるが、これは、「人物が発する雰囲気」に限って使われているように思われる。
新しい単語を創造すること自体は、問題ない。言語は時代と共に変化するものであって、私が使っている日本語も、江戸時代や平安時代の人々からすれば、トンチンカンで意味不明な、乱れた言語に聞こえるであろう。よろしくないのは、そういう「新語」を、特に意味を考えずに、なんとなく、曖昧に使うことである。言葉を曖昧に使うということは、つまり、物事をキチンと考えない、ということである。「真逆の方向に」と言った時、あなたは、180 度の正反対の方向に、という意味で言っているのか、それとも 150 度から 210 度ぐらいの概ね反対の方向に、という意味なのか、あるいは 90 度から 270 度まで広く意味しているのか。
私が京都大学工学部を卒業する時、卒業研究の結果発表会がポスター形式で行われた。私は、beable の理論とか隠れた変数理論とか呼ばれる、量子力学を否定する立場の理論についてのレビューと、これらの理論をデモンストレーションする数値計算とを行った。そのポスターにおいて、私は、どういう文脈であったかは忘れたが、「自己矛盾が生じる」という表現を用いた。これに対し、当時大学院修士課程の学生であった某氏は「『自己矛盾』とは、どういう意味であるか」と質問した。「『矛盾』ではなく敢えて『自己矛盾』としたことには、どういう意味があるのか」というのである。私は、無意味に「自己」という表現を加えた浅慮を恥じ、記載を訂正した。
遺憾なことに、医学・医療の分野では、曖昧で不適切な表現が非常に多い。たとえば血液検査の結果をみて「白血球が上がっている」と述べる者がいるが、白血球は「上がる」ものではなく「増える」ものである。「上がる」では「白血球数が基準範囲より多い」という意味なのか、「白血球数が昨日より多い」という意味なのか、わからない。
一方、表現としては正しいが、医学的見地から問題があるのは「血糖値が高い」というような表現である。「血糖」とは、血液中のブドウ糖のことをいう。しかし「血糖値」の定義は曖昧で、「血糖の濃度」を意味しているのか、「血糖の濃度の測定値」を意味しているのか、不明確である。科学を修めていない人には、「濃度」と「濃度の測定値」の違いがわからない、あるいは些末な問題に感じられるかもしれないが、そうではない。測定というものは、常に誤差を含んでいる。臨床検査で使われる検査では、大抵、誤差はかなり小さくなるように制御されているが、これは臨床検査技師や臨床検査医らが日夜、精度管理に注力しているからであって、素人が下手な手技で検査した場合や、非定型的な状態にある患者の場合は、誤差は必ずしも小さくない。
次回、この誤差について書くことにしよう。