これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
だいぶ間隔があいてしまった。日常業務に追われ、ゆっくりと日記を書く心のゆとりがなかったためである。たいへん、よろしくない。
日記再開に際して取り挙げるのは、過日、某名門国立大学附属病院で起こった患者死亡事故についてである。これは、同病院において炭酸水素ナトリウム製剤を誤って過量投与し、結果として患者が死亡したものである。2019 年 11 月 19 日付で同病院からプレスリリースがなされているので、事故の内容については、そちらを参照されたい。
この事故に対し、医療関係者、特に医師諸兄姉が、どのように考えているのかは知らぬ。ただ、私が懇意にしている某助産師から聞いた話では、twitter などにおいては、「明日は我が身」などとする意見が散見されるという。なお、私自身は twitter の類はやっていないので、詳しくは知らぬ。
私としては、本件について理解しかねる部分がいくつかあるので、ここに記しておこう。なお、そもそも造影剤の使用に際し、いわゆる「腎保護作用」が炭酸水素ナトリウムにあるのかどうかも医学的には疑問であるが、それは医療事故とは別の問題なので、ここでは議論しない。
まず当局の文書では「本件に関して重大と捉えた問題点」として、1. 「安全への配慮が不足して」いた、2. 「看護師や医師は造影剤によるアレルギー反応の有無に気をとられて (中略) 患者さんの訴えについて医師の診察は行われないまま投与が継続され」た、3. 「患者さんが服用されている内服薬の中に抗凝固薬が含まれていることに気づくのが遅れ」た、4. 「マニュアルはあったものの、その内容が十分に定着していなかった」、ことを挙げている。
当局の文書の記載によれば、炭酸水素ナトリウムを「誤処方」した医師は、投与量について自分で確認していない。薬剤を処方する際には、その濃度や含有量が目的とするものであるのかどうか、逐一確認するのが常識である、と我々は学生時代に教わったが、この医師は、それを怠ったのである。
また、看護師が「投与速度がいつもより速いこと、全量点滴するのか」などを医師に確認したのに対し、当局の文書によれば、医師は「指示通り投与してください」と回答した、らしい。私は、この病院の診療現場をみたわけではないが、この「指示通り投与してください」という回答には、たいへん、違和感がある。丁寧な医師であれば、いつもと違う投与方法を行う理由を看護師に説明するはずである。というより、そもそも、電子カルテ上で指示を入力する際に、理由も書くのが本来の姿である。看護師の質問に対し「指示通り投与せよ」と回答するのは、あまり丁寧ではない医師なのである。そういう医師が「指示通り投与してください」などと丁寧に言うとは、容易には信じ難い。もっと面倒くさそうに、あるいは「指示通りやって」などと、突き離すように言ったのではないか。ひどい医師になると、「指示通りやれ」と命令口調で言う場合も、あるかもしれぬ。
そして投与開始後に患者が血管痛を訴えた際や、看護師が造影剤アレルギーを疑った際にも、報告を受けた医師は患者を診察しなかったようである。理由は、知らぬ。無論、「忙しかったから」は、理由にならない。
これらを、諸君は「明日は我が身」と感じるのだろうか。
また、この当局の文書において最も気になるのは、「看護師や医師」という表現である。つまり、患者に最も近い位置におり実際の薬剤投与や異状発見を行った看護師と、処方した医師の、両方に問題があった、と暗に述べているようにみえる。しかし本件において、看護師に重大な過失があったようには思われない。この文書によれば、看護師は、医師の指示に従って、医師が指示した通りの処置を行ったのであって、異状を発見した際にも遅滞なく報告・相談したのである。報告の際に、炭酸水素ナトリウム投与中であることは述べなかった、と敢えて記載されているが、それが重大な過失であるとは思われず、むしろ医師の側が「何の薬を投与しているのか」と問わなかったことの方が問題である。
むろん、薬剤の処方がおかしいことに気づき、それを指摘し、誤投与を防ぐことができれば、看護師としては非常に優秀であるといえる。しかし、それは看護師の責務の範疇ではない。誤って医師の指示とは異なる薬剤を投与したのならともかく、本件は医師の指示が誤っていたのだから、責任は、専ら医師にある。それなのに、看護師も悪い、と言いたいように、この文書は、みえる。