これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
だいぶ間隔があいており、よろしくない。私は医師であり、医学者であり、科学者であり、教育者の卵であるが、さらに文筆家でもある。医業に従事するのと同様に、この執筆活動にも注力しなければ、私の存在意義が疑われてしまう。
8 月 16 日から8 月 23 日にかけて、医科の連中が統計学をわかっていないことを批判した。今日は、その続きを書くことにしよう。
8 月の記事ではワルファリンについて書いたが、近年多用されている抗凝固薬としては、ワルファリンとは作用機序が異なる活性化第 X 因子阻害薬がある。たとえばエドキサバンである。ワルファリンはビタミン K の活性化阻害薬であるから、たとえばビタミン K が豊富な食物を摂取すると凝固能が大きく変動してしまう、という問題がある。そのためトロンビン時間 (PT) を定期的にモニタリングし、ワルファリンの投与量を調節する必要がある、とされている。これに対しエドキサバンは、添付文書によれば「体重 60 kg 以下であれば 1 日 1 回 30 mg, 体重 60 kg を超える場合は 1 日 1 回 60 mg (ただし腎障害がある場合などは 1 日 1 回 30 mg)」という投与量であり、たいへんシンプルである。定期的な血液検査で凝固能のモニタリングを行う必要もないのである。この簡便さゆえに、近年では、活性化第 X 因子阻害薬による抗凝固療法が広く行われている。製薬会社も、投与量の調整がシンプルである点を、これらの薬の長所として強調しているのである。
薬理学を修めた人であれば、この「投与量の調節がシンプル」という点に疑問を持つであろう。エドキサバンの場合、添付文書によると、主として腎から排泄されるらしい。それならば、腎機能、正確にいえば糸球体瀘過量によって投与量を調節すべきであって、体重 60 kg で簡易に分けるだけでは、血中濃度が高くなりすぎたり低くなりすぎたりするのではないか。どうして、このような単純な投与方法で「良い」とされているのだろうか。
薬剤の添付文書には、その薬剤の使用にあたって必要な最低限度の情報しか記載されていないので、投与方法の医学的根拠などは、通常、述べられていない。そうした学術的情報は、大抵、インタビューフォームに記載されている。なお、添付文書もインタビューフォームも 医薬品医療機器総合機構 で正式に公開されているので、医療従事者でなくても誰でも自由に読むことができる。
エドキサバンのインタビューフォームによると、この投与量の設定根拠は 2 つの臨床試験、具体的には「ENGAGE AF-TIMI 48 試験」と「Hokusai-VTE 試験」であるらしい。つまり、これらの臨床試験で上述のような投与方法を行ったところ、特に問題がなかった、というのである。
薬理学的に考えれば、エドキサバン投与により血栓症のリスクを極力抑えつつ、かつ出血などの有害事象のリスクを回避するためには、腎糸球体瀘過量に基づく用量調節を行うべきである。しかるに ENGAGE AF-TIMI 48 試験の結果を報告した論文 (N. Engl. J. Med. 369, 2093-2104 (2013).) では、投与量を体重 60 kg を基準に分けただけの用法でもワルファリンよりマシだった、と述べているだけである。糸球体瀘過量に基づく用量調節を行った方が良いか、行わなくても良いか、については議論されていない。
薬剤として認可を得るだけならば、既存薬と比較すれば充分であるから、こうした ENGAGE AF-TIMI 48 の設計でも問題はない。しかし患者の利益を考えるならば、より適した投与方法の模索を行うべきである。ENGAGE AF-TIMI 48 を根拠に「糸球体瀘過量による投与量調節は行わなくて良い」などとは、言えないのである。
おそらく製薬会社としては、最適な投与方法の模索は資金と人手と時間を要する割に、会社としての利益につながらないから、こうした研究には消極的なのであろう。製薬会社も営利企業である以上、それは、やむを得ない。だから最適な投与方法の検討は、製薬会社ではなく、公的機関が出資して行うべきである。そして、その薬を投与する立場にある医師が、製薬会社の宣伝を安易に鵜呑みにして「糸球体瀘過量による投与量調節は不要」などと考えているならば、不勉強に過ぎる。
なお、エドキサバンのインタビューフォームでは、ENGAGE AF-TIMI 48 や Hokusai-VTE の参考文献として社内資料のみが記載されている。上述の The New England Journal of Medicine に掲載された公開の論文は、参考文献として挙げられていないのである。社内資料であっても、請求すれば文献を取り寄せることはできるはずだが、非公開資料であるため、こうした日記などの公の場で議論の材料にすることはできない。実に不誠実な態度である。