これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
2 箇月近くも間隔があいてしまった。ひょっとすると心配してくださった方もいるかもしれないが、この日記が問題視されて叱責や懲戒を受けたというようなことではなく、単に私の気力が足らなかっただけのことである。ここ一年ほど、諸般の事情で、活動性が低下しているように思う。原因はよくわかっているのだが、なかなか、解決は難しい。もうしばらく、こうした状態が続くかもしれぬ。
前回の記事への補足を書いておこう。
「浸潤」という語が、厳密に、どういう現象を指すのかは曖昧であり、それ故に、良性腫瘍と悪性腫瘍の区別も曖昧になっている。おおまかにいえば、腫瘍が正常組織の中に入っていくような現象を浸潤と呼ぶのであるが、具体的にどういう現象や形態が観察されれば、浸潤といえるのだろうか。
たとえば、どこかに腫瘍の原発巣が大きな腫瘤として存在し、その辺縁部で腫瘍細胞がバラバラと孤在性に、正常組織の中にも分布しているならば、これは浸潤といえよう。腫瘍細胞が、原発巣から周囲組織の中に、侵入しているのだと想像されるからである。一方、たとえば大腸粘膜内に境界明瞭な腫瘤があり、周囲の正常粘膜を押しのけて増大しているようなものは、普通、浸潤とは呼ばず、「圧排」であると考える。腫瘍は正常組織を押しているだけであって、侵入も破壊もしていない、と、みるのである。
これだけなら話は簡単なのだが、世の中には「圧排性浸潤」という、よくわからない語も存在する。たとえば金原出版『卵巣腫瘍・卵管癌・腹膜癌取扱い規約 病理編 第 1 版』(2016 年) の「粘液性癌」の項には「浸潤様式には, 癒合 / 圧排性浸潤 confluent/expansile invasive pattern と侵入性浸潤 infiltrative invasive pattern がある。」と記載されている。前者は、文光堂『腫瘍病理鑑別診断アトラス 卵巣腫瘍』(2012 年) では「拡大性浸潤」と表現されている現象である。その他の腫瘍でも「圧排性浸潤」という語が用いられることがあるが、つまり、形態的には圧排しているようにみえるが、周囲組織を破壊しつつ進展しており、浸潤とみなす、という意味である。
この「圧排性浸潤」と呼ばれる現象が、真の浸潤であって悪性腫瘍に分類すべきものであるのか、あるいは単なる圧排であって良性腫瘍に分類すべきであるのかは、難しい。たとえば表皮の基底細胞癌は、この圧排性浸潤を呈するのが典型的である。基底細胞癌は通常、切除すれば再発することはなく、転移もしない。ごく稀に転移する例もあるとされるが、それは基底扁平上皮癌など、別の組織型に分類すべきものであったのだと考えられる(J. R. Goldblum et al., Rosai and Ackerman's Surgical Pathology, 11th ed., p.53 (Elsevier; 2018))。圧排性に増生し、局所に限局し、転移もせず、切除後に再発しないならば、先に述べた Robbins の定義によれば、これは良性腫瘍である。実際、これを良性と考える立場から、基底細胞癌 basal cell carcinoma ではなく基底細胞上皮腫 basal cell epithelioma と呼ぶ意見もある。私も、いわゆる圧排性浸潤は浸潤ではないと考える。
このように浸潤の定義が曖昧であるから、特に「粘膜固有層への浸潤」の有無は判定が難しい。たとえば食道癌の場合、腫瘍最深部に粘膜固有層への圧排性浸潤があれば「粘膜固有層への浸潤あり」と判断するのが通常であるが、これを浸潤ではないと考える立場からは、粘膜上皮内に限局する非浸潤性腫瘍と判断することになる。また大腸腫瘍においても、強い異型を呈し主として上皮内に存在する腫瘍の場合、いわゆる圧排性浸潤はあるといえるだろうが、これを真の浸潤とみるかどうかが難しい。先に述べた欧米式の考え方を厳格に適用すると、高異型度腺腫と呼ぶべきか腺癌と呼ぶべきか、電子顕微鏡観察による基底膜の観察でもしない限りは判定困難になる。
こうした問題をふまえ、臨床的な便宜から病理診断学では、いわゆる圧排性浸潤を浸潤とみなしてしまうことがあるのだと思われる。同様に、粘膜固有層への浸潤は厳格な判定が困難であるから、欧米では便宜上「粘膜固有層への浸潤は悪性を示す所見とみなさない」としているのであろうが、理論的な辻褄は合っていない。
なお、上皮内に限局する腫瘍と粘膜固有層に浸潤する腫瘍では予後に差がないとされている、という臨床的な理由から、両者を区別する必要はない、と考える者もいる。しかし、理屈としては両者が全く同種の病変であるとは考えられない以上、本当に適切な治療方法が全く同一であるとは思われない。病理学的に異なる疾患に対して臨床的に同一の治療が行われているのならば、それは名古屋大学の某病理学教授の言葉を借りれば「臨床が病理に追いついていない」状態なのであって、病理側が臨床側に迎合してはならぬ。