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2020/01/08 大腸癌の病理診断学的定義 (2)

病理診断は、患者から採取した細胞や組織を顕微鏡で観察し、それがいかなる病変であるのか診断するものであって、臨床検査の一分野である。必要に応じて、免疫染色をはじめとする様々な染色などを行う。臨床検査の中で、病変を直接観察する唯一の検査である点が特徴である。近年、遺伝子検査の台頭に伴い、組織学的観察を軽視する風潮があるが、遺伝子検査は、過去の統計データを根拠として、病変を間接的に観察しているに過ぎない。はたして、そうした間接検査だけで、どれだけ正確な診断が可能であるのか、注意する必要がある。

さて、病理診断においては、昨日述べた定義に従って腫瘍を診断することは困難である。細胞の増殖が外部からの刺激に依存しているかどうかは顕微鏡でみても不明瞭であるから、腫瘍と過形成の鑑別が困難なのである。そこで病理医は、細胞や組織の形態に注目する手法を編み出した。腫瘍では、過形成に比べて、細胞の形態や組織の構造に乱れが生じるのが普通である。この形態や構造の乱れを、病理医は「異型」と呼んでいる。つまり病理診断学的には、一部に例外はあるものの、異型が強いものを腫瘍とみなし、異型が弱いものを過形成と判断することが多い。病理学的な定義とは異なるのである。

大腸腫瘍の場合、病理診断学的な良悪性の区別も、病理学的な定義とは異なる。悪性腫瘍では、通常、強い細胞異型や構造異型がみられる。そこで日本の病理診断では、組織学的に明らかな浸潤や転移がみられなくても、強い異型がある場合には「腺癌」と呼ぶのが普通である。一方、文光堂の『腫瘍病理鑑別診断アトラス 大腸癌』によれば、欧米では、組織学的に浸潤が明らかでなければ良性腫瘍とみなし、「腺腫」と呼ぶらしい。つまり、強い異型を呈するが浸潤が明らかでない病変は、日本では腺癌、欧米では腺腫、と呼ばれ、良悪性の判断が分かれてしまうのである。なお、こうした病変は欧米では「高異型度腺腫」として、「上皮内癌 carcinoma in situ」と同義であるとされる。上皮内癌とは「上皮内に限局し、基底膜を越えて浸潤しない癌」のことであるが、そもそも癌の定義が「浸潤するもの」なのだから、この上皮内癌という語は、おかしい。日本では、こうした病変は腺腫に分類するのが一般的であるから、大腸の場合は上皮内癌という診断名はあまり用いられない。

このように、腺癌と腺腫の区別には議論があるが、病理学的原則からすれば、欧米のように、浸潤の有無で区別するのが合理的である。日本の方式では、癌という言葉の意味が不明瞭な上、低異型度腺腫と高異型度腺腫の区別が非常に曖昧である。また、異型は弱いが粘膜下層への浸潤を呈する大腸癌が稀ながら存在するため、異型の強弱を定義にするのは、臨床的にもよろしくないように思われる。

ただし、欧米式に浸潤の有無で良悪性を区別する方法には、実務上の問題がある。基底膜を越えて粘膜固有層に浸潤するが、粘膜下層には達していないような病変の取り扱いが曖昧なのである。昨日述べた病理学的な原則からは、粘膜固有層に浸潤していれば、悪性とみるべきである。しかし実際の病理診断において、上皮内に限局する病変と、粘膜固有層への浸潤を有する病変とを区別するのは容易ではない。また臨床的にも、浸潤が粘膜固有層に留まる病変が転移することはない、もしくは極めて稀であると考えられている。こうした事情からであろう、Union for International Cancer Control の TNM Classification of Malignant TUmours eigth edition では、浸潤が粘膜固有層までに留まる病変は Carcinoma in situ に分類し、非浸潤性病変として扱うことにしている。この Carcinoma in situ という語は、日本語では「上皮内癌」と訳されることが多い、粘膜固有層は上皮ではないのだから、むしろ「粘膜内癌」とする方が正しい。

このように、腫瘍と非腫瘍、また良性腫瘍と悪性腫瘍の区別について、病理学的な定義と、臨床医学としての病理診断学的な定義とは、いささか乖離しているのが現状である。


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