これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2020/05/27 COVID-19 治療薬

例のウイルスによって世界中が混乱している中、日本では治療薬としてファビピラビルなどが注目されている。この薬は、一般向けのニュースなどでは「アビガン」と呼ばれることが多いようだが、アビガンは商品名であって、薬の名前としてはファビピラビルが正しい。たとえば臨床試験は特定の商品ではなく薬物自体を対象にしているのだから「アビガンの臨床試験」ではなく「ファビピラビルの臨床試験」とすべきである。このように商品名と一般名はしばしば混同されており、たとえばロキソプロフェンのことをロキソニンと呼んだり、プレドニゾロンのことをプレドニンと呼んだりする医師や看護師は少なくない。しかし、これはハイブリッド車のことを「プリウス」と呼ぶようなものであり、不正確で恥ずかしいからやめた方がよい。

さてMedical Tribuneは医療分野の大手業界紙であるが、記事の内容はあまり医学的でないように思われる。私は購読していないのだが、ときどき大学に置いてあるのを眺めることがある。5 月 14 日号には「COVID-19 治療薬の実用化始まる」と題する記事が掲載され、いくつかの薬剤が紹介されていた。まるで COVID-19 治療に有効な薬が開発ないし発見されつつあるかのようだが、実際には、これらの薬が有効であると考える医学的根拠は現時点では存在しない。

Medical Tribune の記事では、レムデシビル remdesivir について次のように述べている。

米・University of Texas Southwestern Medical Center の James M. Sanders 氏らは、COVID-19 患者に対して 2020 年 3 月 25 日までに使用報告があった主要な薬剤について文献を検索、JAMA (2020 年 4 月 13 日オンライン版) で解説。COVID-19 治療薬候補として現在治験中の薬剤のうち最も有望なのはレムデシビルだとした。

まず「治験」という言葉は「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」いわゆる薬機法の第二条第十七項で定義されているものであって、日本における医薬品等の承認過程で行われる臨床試験をいう。つまり「臨床試験」の同義語として「治験」を用いるのは誤りであるし、外国では「治験」は行われていない。新聞記者であるならば、言葉の使い方にはもう少し気を遣うべきであろう。

さて、この記事では引用の仕方が曖昧であるが、Sanders らの論文というのは JAMA 323, 1824-1836 (2020). のことであろう。しかし、私が読む限り、この論文では「現在臨床試験中の薬剤のうち最も有望なのはレムデシビル」とは書かれていない。Sanders らの論文は、COVID-19 治療薬候補として現在試験されている様々な薬剤についてレビューしたものであって、remdesivir は、その一つに過ぎない。おそらく記者は

Currently, remdesivir is a promising potential therapy for COVID-19 due to its broad-spectrum, potent in vitro activity against several nCoVs,including SARS-COV-2 with EC50 and EC90 values of 0.77 μM and 1.76 μM, respectively.

As the results from RCTs are anticipated, inclusion of this agent for treatment of COVID-19 may be considered.

といった記載から、「最も有望」と感じたのだろうが、それは記者の意見に過ぎず、Sanders らは「最も」とまでは述べていない。不適切な書き方であろう。また、Medical Tribune の記事では

同薬 (註: remdesivir のこと) は、COVID-19 重症患者 53 例 (日本人 9 例含む) に対する人道的使用のコホート研究の結果、68% で臨床的改善を得た(N Engl J Med 2020 年 4 月 10 日オンライン版)。

としている。これは DOI:10.1056/NEJMoa2007016 のことであろう。原文を読むと、これは北米や日本およびヨーロッパの医療機関が参加した臨床試験であって、日本の医療機関を通じて参加した患者が 9 人、とのことである。日本人であるとは書かれていない。些末な違いのようであるが、科学的な話をするのであれば、言葉を適切に使うことは重要である。

この報告は remdesivir の投与を受けた重症患者の 68% が回復した、というだけのことである。投与されていない患者との比較は行われていないので、この患者が自力で回復したのか、remdesivir によって回復したのかは、わからない。医学的にはほとんど意味のない臨床試験である。いったい、Medical Tribune の記者は、どういうつもりで、この論文を紹介したのだろうか。有名な The New England Journal of Medicine 誌に載った論文だから、と、無批判に受け入れたのであろうか。

The New England Journal of Medicine についていえば、5 月 22 日付で Remdesivir for the Treatment of Covid-19 --- Preliminary Report として、二重盲検ランダム化比較対照試験の途中報告が掲載された (DOI:10.1056/NEJMor2007764)。これについても少し書きたいが、長くなってきたので次回にしよう。

2020.05.29 標題を修正した

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