これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
朝日新聞の「医心電心」というコラムに、5 月 25 日付でウイルスは生物か非生物か 難しい「生きている」の定義という記事が掲載された。このコラムは内科医の酒井健司氏の連載である。素人向けの読みやすいコラムなので、ぜひ読まれると良い。
中学校や高等学校の理科では、ウイルスは生物ではない、と教えられることが多いらしい。その根拠は、ウイルスは細胞ではないから、としているようである。上述のコラムでも酒井氏は「別にウイルスが生物だと声高に主張したいわけではありませんが」などと述べ、態度は曖昧であるが、どちらかといえばウイルスを非生物とする立場に偏っている印象を受けた。
一方、私は名古屋大学医学科の学生であった頃、ウイルス学の教授が講義中に「ウイルス学者は、大抵、ウイルスを生物だと思っている」と言ったのを覚えている。当時の私は、まぁ、そうだろうね、と思った。ウイルスは、独自の遺伝情報を有し、他の細胞の機能を利用して自己複製する能力を有している。形態こそ違うが、機能としては細菌と同じようなものであるから、これは生物とみる方が自然であろう。
そもそも、生物の定義として「細胞から成っている」ことを条件とするのは不適切である。「生物」という概念は、細胞という構造物が発見されるよりも前から存在した。レーウェンフックによる顕微鏡の開発以降、あらゆる生物を微細に観察した結果、細胞の存在が確認された。これにより「生物は細胞から成っている」と考えられるようになった。重要なのは、こうした昔の光学顕微鏡ではウイルスは小さすぎて認識できなかった、という点である。つまり、正確にいえば、「普通の光学顕微鏡で観察できるような大きさの生物は、細胞から成っている」ということになる。「大きな生物は細胞から成っているのだから、小さな生物も細胞から成っているはずであり、従って細胞から成っていない存在は非生物である」という論理は、むろん、誤りである。細胞ではないから、という理由でウイルスを非生物と判断するのは、論理が破綻しているのである。冷静に考えれば、それは誰でもわかるはずなのに、なぜか、そのようなおかしな論理を受け入れている者が少なくない。
この種の破綻した論理による推定は、医学・医療の分野に広くみられるので、注意が必要である。たとえば、抗二本鎖 DNA 抗体は全身性紅斑性狼瘡 (systemic lupus erythemathosus; SLE) に特異的だと記載している文献がある。つまり、SLE の患者ではしばしば抗二本鎖 DNA 抗体が検出されるのに対し、他の疾患でこれが検出されることは比較的稀だというのである。単純化すれば「抗二本鎖 DNA 抗体を有する患者は、大抵、SLE である」ということになる。そこで、医学の勉強をせずに国家試験対策ばかり講じた学生や研修医は、抗二本鎖 DNA 抗体陽性の患者に対し安易に「SLE である」と診断しがちである。
抗二本鎖 DNA 抗体の存在は、SLE の特徴の一つに過ぎず、定義ではない。そうした特徴の一つだけをつかまえて「SLE である」とするのは、論理になっていないのである。SLE 以外の疾患や健常者でも抗二本鎖 DNA 抗体を有することはありえるのだから、そういう安易な診断は国家試験対策テクニックにしからなず、臨床的に用いるべきではない。もっとも、SLE をはじめとする膠原病は疾患概念が曖昧なので、正確な診断は難しい。というより、SLE は症候群に過ぎず、独立した疾患単位ではないと考えられるので、将来的には診断名として使われなくなるであろう。
なお、この記事を書くにあたり過去の書き物を調べていたら、私が 5 年近く前に書いた文章を発見したので、転載しておこう。
全身性紅斑性狼瘡 (Systemic Lupus Erythemathosus; SLE) と呼ばれる症候群がある。明確な定義がなく、イマイチ概念の不明瞭な症候群であるが、いわゆる膠原病の一つとされている。ただし、この「膠原病」という言葉も、定義や概念が曖昧である。本日のテーマは、この SLE と抗二本鎖 DNA 抗体の関係である。なお、臨床検査における抗二本鎖 DNA 抗体というのは「二本鎖の DNA にのみ反応する抗体」という意味ではなく「一本鎖または二本鎖の DNA に反応する抗体」という意味である。これに対し抗一本鎖 DNA 抗体は「一本鎖の DNA にのみ反応する抗体」をいう。
丸善出版『膠原病学』改訂 6 版は、膠原病を概説する名著であり、膠原病に関心のある学生は、卒業までに一度通読すると良いだろう。塩沢俊一氏の単著であり、全体を通して一貫したストーリーのある優れた教科書である。ただし、日本語の細かな部分が、いささか粗いように思われる。
この「塩沢 膠原病学」の 361 ページでは「抗二本鎖 DNA (dsDNA) 抗体は原則的に SLE に特異的で, 腎症をはじめ疾患活動性とよく相関し,診断の重要な指標となる (Schur PH et al. N Engl J Med 278:533, 1968).」としている。補足しておくと、ここで引用されている Schur らの報告は疾患活動性と抗 dsDNA 抗体の関係を調べたものであって、SLE に対する特異性には言及していない。
これに対し金原出版『臨床検査法提要』改訂第 34 版の 886 ページでは、抗 dsDNA 抗体は活動期 SLE における感度 67 % であるのに対し、全身性硬化症における感度は 23 %、シェーグレン症候群で感度 14 % としている。この記述に基づくならば、有病率を考えれば SLE における特異性は高いといえようが、SLE に特異的とまで言うのは、私は憚られる。
そもそも、なぜ抗 dsDNA 自己抗体が生じるのか、という点については、誰も知らない。「塩沢 膠原病学」は上述のように抗 dsDNA 抗体は SLE に特異的であるとしており、他の膠原病で陽性となるのは検査手技上の問題で、抗一本鎖 DNA 抗体が存在する際に偽陽性となるためだとしている。そして、抗 dsDNA 抗体に対応する抗原はアポトーシスの際に遊離したヌクレオソームである、としている。しかし、そうした抗原が SLE 特異的に出現する理由には言及していない。
はたして、本当に抗 dsDNA 抗体は SLE に特異的なのだろうか。特異的だと主張する根拠として有名なのは、2012 年に Systemic Lupus International Collaborating Clinics (SLICC) が発表した SLE の分類基準であろう。(Arthritis and Rheumatism 64, 2677-2686 (2012).)この報告では、抗 dsDNA 抗体は SLE に対し感度 57.1 %、特異度 95.9 % であった、としている。この報告の特徴は、SLE であるか否かの診断のゴールドスタンダードとして「エキスパートの 80 % が SLE である、または SLE ではない、という点で意見を合致させたもの」としている点である。つまり、この分類基準を臨床的に用いる場合、それほど SLE に熟練していない医師であっても SLE のエキスパートと同様の診断を行うことができる、という点が有益だといえよう。
ここで二点、注意を要する。第一に、特異度の値は、統計の対象とする患者集団に大きく依存する、という点である。上述の SLICC は、SLE や他の膠原病と診断された患者を対象に解析したものであるが、いわゆるオーバーラップ症候群や混合性結合組織病は含まれていない。第二に、この報告においても、エキスパートのうち最大 20 % は異なる診断を行っている、という点である。そのくらい、SLE の診断は曖昧で主観的なのである。
以上のことを考えると、抗 dsDNA 抗体が SLE に特異的である、というよりも、抗 dsDNA 抗体を伴う膠原病は SLE と診断されることが多い、とするのが正しいのではないか。両者は、臨床医療における診断だけを考えるなら大差ないが、膠原病や SLE の本質に迫ろうとするならば、重大な差異がある。「SLE」という曖昧な既成概念を崩しに行くことこそが、我々のような次代を担う医師の役目である。