これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2020/05/16 臨床検査 (1)

COVID-19 を巡る混乱が続いている。日本の場合、PCR の拡充を求める声と、それに慎重な意見とがみられるようである。現在の日本において、PCR 検査を広く施行することについては、私は反対である。というのも、PCR 検査、あるいは広く臨床検査について世間の多くの人は正しく認識しておらず、その状況で検査だけを行うと、混乱に拍車がかかると考えられるからである。そこで臨床検査とは何かということを、何回かに分けて議論しよう。

医学、というより科学を少し修めた人ならば、少し考えれば「COVID-19 に感染しているかどうかを調べる検査」というものは厳密には存在するはずがない、ということがわかるであろう。さらにいえば「試験管に入れた水溶液中に COVID-19 が存在するかどうかを調べる検査」というのも、厳密には存在しない。そもそも「COVID-19」とは何だろうか。何をもって、我々は「それ」が「COVID-19」であると言っているのだろうか。たとえばカプシドやエンベロープを失って核酸のみとなった状態のものを、COVID-19 と呼んでよいのだろうか。私は言葉遊びをしているのではなく、臨床検査を議論するためには、その対象たる病原体を正確に定義することが重要である。というのも、言葉の定義があやふやであれば、いったい、我々は何を調べているのか、わからなくなるからである。科学に疎い人は、おそらく私が何を言っているのかピンとこないであろうから、具体例を挙げる。

「癌」という病気がある、と、されている。「と、されている」と書いたのは、「癌」という言葉の定義が曖昧だからである。たとえば諸君が、患者から「私は癌なのですか?」と問われたとしよう。もし、その患者が乳癌の脳転移を来しており終末期を迎えているならば、言い方は難しいが、内容としては「あなたは癌です。もうすぐ死にます。」という意味のことを伝え、どのように死を迎えるか、一緒に考えれば良い。この場合、その患者が癌であることは間違いないからである。

その患者が急性白血病であった場合、どうだろうか。「固形癌」とか「血液癌」という言葉があるぐらいだから、白血病も癌の一種であると考えてよく、この場合も、その患者は癌であると言って良いだろう。では、ユーイング肉腫の場合は、どうか。ユーイング肉腫は、肉腫であって、癌腫ではないから、その意味では「癌ではない」ということになる。しかし「悪性腫瘍」という意味で「癌」という言葉を使うこともあるから、その意味では「癌である」ともいえる。従って、この場合、その患者がどういう意味で「癌」という言葉を使っているのか、よく注意しなければならない。むろん素人は癌腫と肉腫の区別など気にしないだろうが、たとえばその患者が病理医である場合、肉腫なのに「癌です」などと説明しようものなら、虚偽の内容を告知されたとして訴訟に発展する恐れすらある。あるいは、切除した大腸ポリープのごく一部に日本では「上皮内腺癌」とされるが欧米の基準でいえば「高異型度腺腫」とされるような、癌なのかどうなのかよくわからない病変があった場合、どうだろうか。日本では病理診断上は癌とされるが、これが原因で患者が将来死亡することはありえず、一般人が「癌」という言葉から受ける印象とは程遠い病変である。もし患者が「命に関わる重大な病気」という意味で「私は癌なのですか?」と問うているならば、単純に「あなたは癌です」と言ってしまうと誤解を招くことになる。

次に、超音波検査などの画像検査で乳癌を強く疑われている患者について、病理学的検査は未だ施行されておらず、確定診断されていない場合は、どうか。画像検査では、癌を疑うことはできても、癌であると断言することはできず、「『癌かもしれない』か『癌ではなさそう』」かを調べる検査に過ぎない。癌であると確定するには生検を行って、組織学的に癌の存在を確認する必要がある。一方、組織学的に癌がみられなかったとしても、サンプリングエラーの可能性があるから、組織学的検査を根拠に「癌ではない」と断言することはできない。そうしてみると、画像検査も組織学的検査も、「その患者が癌かどうかを調べる検査」と表現するのは不適切であろう。

このように、厳密には「癌かどうかを調べる検査」というものは、存在しない。では COVID-19 感染症の場合は、どうか。それを次回、検討しよう。


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