これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
前回の記事に少し補足をしておく必要があるかもしれぬ。私は、なにも、懇親会その他の社会的活動を自粛する必要はない、と述べているわけではない。公衆衛生の観点からいって、自粛する方が望ましいのは間違いない。しかし、政府当局や病院長らが「自粛されたし」と要請しているからといって、それに従うことは当然の義務とはいえないし、従わない者に対して、不道徳だ、非倫理的だ、反社会的だ、医師失格だ、などと非難するのは不当である、と主張しているのである。
我々勤務医は、大学や病院との雇用契約に基づいて、医師としての労務を提供し、その対価として給与を受け取っている。職務遂行にあたり、病院長その他の立場にある者から指示命令を受けることはあるが、むろん、それは職務提供に必要な範疇に限られるのであって、私生活について病院長や教授の指示を受けるいわれはない。もし、我々の勤務時間外の過ごし方について制約を課したいのであれば、予め雇用契約に盛り込んでおくか、あるいは逐一手当を支給するなどして我々との合意を形成しなければならぬ。これは、病院であろうと一般企業であろうと、何ら変わりはない。たとえば一般企業に勤める労働者が、夜な夜な淫らなサービスを提供する店に出入りして遊蕩に耽っていたとしても、雇用者には、それを咎める権利はない。それと同じことである。
それでは公衆衛生が守られないではないか、と批判する者がいるかもしれぬが、公衆衛生の観点から個人の私的行動を制約したいのであれば、しかるべき法を定めなければならぬ。もし、多人数の集会を禁ず、などと法で定められたならば、それに反して懇親会に参加した医師が非難されるのは当然のことである。しかし現在の日本では、そのような禁止規定は存在せず、あくまで自粛を要請するだけの法律しかなく、その要請に従うかどうかは個人の判断に委ねられている。というのも、日本国憲法では、たとえば第十三条に
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
とあるように、個人の自由が尊重されているから、法律により個人の私的活動を制限することは、よほどやむをえぬ事情がない限り、できないのである。なお、この条文は「公共の福祉に反しない限り」という部分の解釈が問題であって、たとえば路上で放尿することが公共の福祉に反することは明白であるが、現在の状況下において懇親会を開催することが公共の福祉に反するかどうかは、判断が難しい。だから現行法では、とりあえず強制力のない要請や指示のみが規定されており、懇親会に参加するかどうかは個人の裁量に委ねられている。しかるに、現在の日本社会においては、政府や病院長の要請に従わないことは不道徳だ、非倫理的だ、というような意見が少なくないようである。恐るべき同調圧力であり、権威への盲従と言わざるをえない。精神的な独立を欠いた、奴隷的発想である。
ところで、先の大戦中には、「非国民」などという言葉を用いて、戦争に協力的でない隣人を非難した者が少なくなかったという。そういう人々が、戦後に、自身の言動を悔い、反省し、謝罪したのかどうかは、知らぬ。