これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
「民度」という言葉で思い出すのは、医学科の学生時代、一学年下の学生であった某君が発した一言である。彼は東京大学卒業後に、いわゆる再受験で医学科に入ったのであるが、次のように述べた。
「医学科の学生は、民度が低い。」
ここでいう民度とは、社会常識、というような意味である。たとえば講義中は私語を慎むだとか、遅刻して講義室に入る際は後方から静かに入るとか、そういう配慮ができない学生が非常に多い、ということを指摘したのである。
民度といえば、某国の政府重鎮が、「我が国において COVID-19 による死亡者が比較的少ないのは、民度が高いからである」と発言したようである。この場合の「民度」が何を意味するのかはよくわからないが、たぶん、外出自粛や休業を政府が要請したのに対し、強制力のない要請にもかかわらず、多くの国民が従ったことを指しているのであろう。注意を要するのは、これらの外出自粛や休業は、「緊急事態宣言」などの政府からの要請に従ったものであって、個々の国民が公衆衛生の観点から主体的に判断したものではない、という点である。その証拠に、政府が要請を行う直前まで皆は盛んに外出し、休業する事業者は極めて少なかった。また、緊急事態宣言解除の直後から外出をするようになり、営業を再開したのである。
つまり、某大臣のいう「民度が高い」とは、「個々の国民が自身の行動を主体的に判断するのではなく、政府の要請に忠実に従うこと」をいうのであろう。日本では、このように「上の言うこと」に対し素直に従うことを美徳とする奴隷的文化が一部に存在する。
ところで、米国では建国以前から続いている人種差別に対し、黒人を主体とする多数の人々が、従来よりもはるかに大きな怒りの声を発している。これに呼応する動きは世界各地でみられ、フランスでも数万人規模のデモが展開された。フランスでは、現在のところ COVID-19 のため、集会が禁止されているとのことであるが、それに違反しての抗議行動である。時事通信の記事によれば、パリでの参加者は警察発表で 2 万人、とのことである。
フジテレビによれば、参加者の一人は「政府は集会を禁じたが、その権利はない。だから違反しているとは思わない」と述べたらしい。ただし、BBC の記事などに比べるとフジテレビのニュースは信用できないので、これが実はヤラセである可能性も忘れてはならない。
人間は生まれながらにして自由であり、平等である、というフランス革命の精神は、人類の至宝である。上述のフジテレビに登場したフランス人は、まさに、そのフランス的精神を発揮している。不正義と不平等に対する抗議行動を、たとえ COVID-19 蔓延下であったとしても、政府は禁止することができないのである。
政府の要請に忠実に従う人々と、政府の命令を無視して集会する人々と、どちらが進歩的な人間であろうか。