これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
Intention-to-treat 解析は、介入を伴う臨床試験の結果解析における基本的な方法の一つであって、事実上、必須の解析方法である。ITT 解析などと略されることもあるらしい。Intention-to-treat 解析を行っていない臨床試験は、結果の信憑性が著しく低く、医学的意義がないといってよい。医学科高学年生や医師であれば、この intention-to-treat 解析について学んだことがあるはずだが、実際には、その意義を正しく理解している医師は稀であろう。なお、世の中には modified intention-to-treat 解析と称される解析法があるようだが、これは不正な解析法であって、これを使った臨床試験は医学的意義が乏しい。このあたりの事情について、3 回程度にわけて概説しよう。
臨床試験では、患者を二つの群、たとえば新薬群と対照群にわけて治療効果を観察することが多い。新薬群は、これから試験しようとしている新薬を投与される患者群であり、対照群は、従来の薬あるいは薬効のない偽薬 (プラセボ) を投与される患者群である。このとき、どの患者をどの群に割り付けるか、コンピューター等を用いて無作為に、つまり人間の意思や判断を反映させずに決定するのがランダム化比較対照試験である。たとえば前回紹介した「封筒法」は、人間の判断が介入する余地があるので、ランダム化比較対照試験とはいえない。また、ランダム化されているかどうかとは別の話として、患者自身も担当医も、その患者がどちらの群であるのか、つまり新薬を飲んでいるのか偽薬を飲んでいるのか知らない、という状態で試験を行うのが二重盲検である。基本的には、臨床試験は二重盲検ランダム化比較対照試験で行うべきである。その理由について、医療統計の教科書などでは「バイアスを避けるため」などと表現されることが多いが、それは適切な表現ではない。二重盲検でなかったり、ランダム化されていない比較対照試験では、結果を不正に歪め、製薬会社等に都合の良い結果に恣意的に誘導することができるから、というのが正しい。製薬会社は、何としても新薬の臨床試験で「効果あり」という結果を得たいし、臨床試験を行う研究者も、新薬の臨床試験に「成功」することで医学界における名誉や経済的利潤を得たい。それ故に、臨床試験では研究者は自分達に都合の良い解析を行っていると推定せざるをえず、その結果の解釈に際しては徹底的な批判を加え、その批判に耐え抜いた報告のみが医学的意義を有すると判断する。すなわち、不正を行っている可能性がある、と疑う余地があるような解析を行うと、医学的意義が失われてしまうのである。
さて、intention-to-treat というのは、結果の解析において、患者が実際にどのような薬を飲んだかに関係なく、最初の割り付けに従って解析する、という意味である。たとえば「ある患者が当初はプラセボ群に割り付けられたが、途中から新薬を飲み始めた」という場合にも、その患者は対照群の一人として解析する。さらにいえば、「プラセボ群に割り付けられたが、最初から新薬を飲んだ」という場合でも、対照群として取り扱う。なぜ、最初から新薬を飲んでいる患者を、新薬群ではなく対照群に入れて解析するのか。
もし「プラセボ群に割り付けられたが、最初から新薬を飲んだ」という患者を新薬群として取り扱ったり、あるいは試験の手順から逸脱したという理由で解析対照から除外したりする場合、製薬会社に都合の良い結果を容易に誘導できる。具体的には、患者が軽症で予後が良さそうであると判断した場合に、プラセボ群であったとしても新薬を投与してしまえば良い。そうすれば、全体として新薬群は軽症な患者が多く、プラセボ群は重症な患者が多くなるので、その新薬が実は効果の乏しい薬であったとしても、臨床試験上は「新薬群の方が予後良好」という結果を誘導できる。そういう不正な誘導を行ったのではないかとの批判を避けるためには、intention-to-treat 解析をしなければならないのである。
同様に、途中で試験から脱落した患者を解析対象から外すことも、intention-to-treat 解析では認められない。たとえば 4 週間の投薬が予定されているのに対し、患者が 2 週間で「やっぱり臨床試験への参加をやめます」と表明し、試験対象から外れたとする。こういう患者を解析対象外とすることが認められるなら、やはり製薬会社にとって都合の良い結果を誘導できる。つまり、新薬群で重症化して死亡が懸念される患者や、あるいはプラセボ群で元気ピンピンな患者を、試験から脱落させてしまえば良いのである。
鋭い人は気づいたであろうが、この種の不正は、二重盲検でない場合にのみ可能である。二重盲検の場合は、その患者が新薬群なのかプラセボ群なのか、医師にもわからないから、脱落させた方が都合が良いのか、脱落させない方が良いのか、判断できない。その意味では、厳格な二重盲検であるならば、必ずしも intention-to-treat 解析を行う必要はなく、試験の手順から逸脱した患者を解析対象から外してしまっても良い。ただし、実際の臨床試験では、しばしば盲検化が「破れて」おり、患者がどちらの薬を飲んでいるのか、医師にはわかってしまう。たとえば前回示したような、いわゆる降圧薬を投与する試験の場合、血圧測定によって、患者がどちらの群であるかを推定することが可能である。形式的には盲検のようでも、実際には盲検化されていないのである。従って、「二重盲検だから」という理由で intention-to-treat 解析を行わなかった場合にも、やはり不正な誘導をしたのではないかと疑わざるをえない。