これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
さて、この腺様基底細胞癌、あるいは腺様基底細胞上皮腫が、良性腫瘍であるのか悪性腫瘍であるのかを考えよう。悪性腫瘍とは、浸潤または転移する能力を有する腫瘍のことをいう。腺様基底細胞上皮腫の場合転移しないのであるから、問題は浸潤するかどうかである。
ここで問題なのは「浸潤とは何か」ということである。「浸潤」という言葉は、病理学的に明確に定義されてはいない。この点については3 月 2 日の記事で書いたので、繰り返さない。
腫瘍組織が既存の正常組織の中に入っていくだけでは、浸潤と考えるべきではない。そのような現象は、良性腫瘍どころか、非腫瘍性病変でもみられることがあるからである。たとえば、病理診断学の名著 J. R. Goldblum et al., Rosai and Ackerman's Surgical Pathology 11th ed. (Elsevier; 2018). の 671 ページでは、無茎性鋸歯状腺腫 sessile serrated adenoma について述べている文章の中で
Some show an inverted (pseudoinvasive) growth pattern with penetration of crypts into the submucosa,although this pattern may also be ssen in hyperplastic polyps.
一部の病変では、反転した (偽浸潤性の) 発育パターンがみられる。すなわち、陰窩が粘膜下層に陥入するのである。ただし、このようなパターンは、過形成性ポリープにおいてもみられることがある。
と、述べられている。病理組織学に疎い人のために説明すると、これは次のような意味である。大腸腺腫は、大腸の内腔面、つまり粘膜内にできる病変であるから、基本的には、粘膜よりも外側にある粘膜下層には進展しない。しかし粘膜と粘膜下層の境界にある粘膜筋板が変形した場合などには、腺腫の組織が粘膜下層に入り込むことがある。ただし、これは腺腫に特有の現象ではなく、非腫瘍性病変である過形成性ポリープでもみられることがある。このような粘膜下層への陥入は、浸潤ではなく、従って、これを悪性腫瘍と判断してはならない。
このように、周囲の正常組織に入り込むこと自体は、浸潤とは解釈されない。悪性腫瘍でみられる浸潤とは、周囲組織を破壊しながら入り込むことである、とする考えが広く支持されている。この「破壊しながら」というのは、組織学的には、炎症や繊維化を伴う、ということと同義であると考えられている。すなわち、過形成性ポリープでみられるような粘膜下層への陥入は、炎症や繊維化を伴わないがゆえに、浸潤ではない、と判断されているのである。
では、腺様基底細胞上皮腫の場合、どうか。この腫瘍の場合、病変周囲に炎症や繊維化がみられない、という点が組織学的な特徴である。すなわち、周囲組織を破壊するような浸潤は伴わないのである。
以上のことから、腺様基底細胞上皮腫は、転移を来さず、浸潤もしないのであるから、悪性腫瘍ではない、と考えるべきであろう。良性腫瘍もしくは非腫瘍性病変と考えられるが、いずれであるのかは、はっきりしない。少なくとも悪性でないならば、「癌」という呼称は避けるべきであるが、この点について WHO 分類では
Although the alternate term "adenoid basal epithelioma" has been suggested to reflect this good outcome,ABC (訳註: adenoid basal carcinoma の略) is an established term and should be retained.
このように予後が良好であることから「腺様基底細胞上皮腫」という名称を用いることも提唱されているものの、腺様基底細胞癌というのは既に確立された語であるから、これを変更すべきではない。
と述べている。「癌」とするのは医学的根拠がない誤った名称なのだから、より適切な「上皮腫」に変更すべきだと私は思う。なぜ WHO 分類が「癌」を支持しているのかは、よくわからない。