これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
現在、日本では安楽死は違法である、とするのが通説である。ただし、安楽死を明確に罪として規定する法律は存在せず、具体的には殺人罪、嘱託殺人罪、あるいは自殺幇助罪として扱われる。法律で明確には規定されていない、という点は問題であって、法学理論上は安楽死を合法と考える余地がある。というのも、疾病の治療を目的として患者の同意のもとに手術を行うことを合法とする一方、患者の意思に基づく安楽死を違法とすることを、矛盾なく理論的に説明することは困難だからである。とはいえ、現在の日本で安楽死を合法と主張する人は極めて少数なので、この日記においても、とりあえず現状では違法であるものとして議論を進める。
今回の事件に関連して、安楽死を巡って様々な意見が表明されている。7 月 29 日付の朝日新聞の記事によれば、日本医師会の中川俊男会長は「患者さんから『死なせてほしい』と要請があったとしても、生命を終わらせる行為は医療ではない」として、「これを(議論の)契機にすべきではない。」と述べたらしい。なぜ日本医師会が安楽死の合法化に消極的であるのかは、知らぬ。なお、誤解があるといけないので強調しておくが、日本医師会は、日本の一部の医師によって組織されている業界団体であって、関連する政治団体「日本医師連盟」を介する政治献金などを通じて政治への影響力を発揮している。入会していない医師も珍しくはなく、私も加入していない。医師会は公的団体でもなければ、医師全体を代表するわけでもなく、むろん、医師を統制する権限はない。従って、日本医師会がどう主張しようが大した意味はない。
8 月 1 日付の朝日新聞の記事では、筋萎縮性側索硬化症患者である竹田主子医師、鳥取大学の安藤泰至准教授、京都大学の児玉聡准教授の意見が紹介されている。有料会員記事なのが遺憾であるが、各々の主張の要点は、おおよそ次のようなものである。
竹田医師は「今の時代、ALS患者でも無限に活動的になれます。国会議員として活躍している人、国内外を飛び回って活動する人、自ら介護事業所を立ち上げた人、子育てや孫育てする人もいます。」と述べ、「『厳格な基準を定めたら、死にたい人に医者が致死量の薬物を入れて殺してもいいのでは?』という意見が一部で出ています。でも、「厳格な基準」とは一体何でしょう。命を救うはずの医師に、人を殺す権限を与えることは正しいでしょうか。」として安楽死の合法化に反対の立場を示している。
安藤准教授は、今回の事件について「『生きる価値のある命』と『ない命』を勝手に選別した点で、2016年に障害者施設で入所者19人が殺害された相模原事件との共通点を感じる。」「安楽死を合法化したのは個人主義の強い欧米などの一部の国だ。組織や集団を優先する日本で合法化すれば、表向きは本人の希望でも、現実には『家族や社会への遠慮』から死に追い込まれる人が相次ぐだろう。」として、同じく安楽死の合法化に反対している。
これに対し児玉准教授は、「緩和ケアや介護などを充実し、生きたいと思える環境を作ることはとても重要だ。ただ、どれだけ充実しても、自分の死に方は自分で決めたい、という人はいる可能性がある。そういった人にまで『死ぬことは絶対に許さない』と個人の自由を制限することは許されるのか。」と述べ、安楽死の合法化について検討するべきとの立場を示している。
竹田医師と安藤准教授の主張は、根本的な部分に錯誤がある。相模原の事件は、障害者の生命の価値について、他人である犯人が一方的に価値判断を下し、殺害に及んでいる。これは前回紹介した Harrison における分類でいえば「同意に基づかない能動的安楽死 (involuntary active euthanasia)」であり、これを合法とすべき理由はなく、純然たる殺人事件である。これに対し今回の事例は、患者自身が、自身の生命の終え方を判断し、自身の意志によって安楽死を遂行しており、誰が死を決めたのかという点において決定的な差異がある。
竹田医師と安藤准教授は、この重要な差異を無視し、二つの事例を混同して論じており、不適切である。具体的にいえば、安楽死を合法化しても、竹田医師のいうような「命を救うはずの医師に、人を殺す権限を与える」ということにはならない。決定権は、あくまで患者本人に与えられるからである。なお、細かいことをいえば、医師の仕事は命を救うことである、というのも理解に苦しむ。法医が行う司法解剖や、病理医が行う病理解剖を、医師の仕事ではないというのだろうか。また安藤准教授は、「組織や集団を優先する」という日本の歪んだ因習を前提として論じており、不適切である。現在の日本では、アンサングシンデレラでみられたように、治療方針を本人ではなく家族が決めてしまう事例が、おそらく、存在している。しかし、これは患者の人権を蹂躙する違法で不道徳な慣行であって、是正すべきものである。それとも安藤准教授は、こうした因習を「美しい日本の文化」とでも言うのだろうか。
児玉医師の主張は、妥当であって、特に批判すべき点がない。