これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
体調不良などがあって、また間隔があいてしまった。既に日付が変わっているが、便宜上、24 日付として書く。「アンサングシンデレラ」という医療漫画についてである。この漫画は、病院薬剤師の「葵みどり」が主人公である。病院薬剤師は、一般の人々からすると何をしているのかわかりにくく、目立たない仕事であるので、これを取り上げて漫画家するというのは面白い。この漫画の医療原案を担当した富野浩充氏は、現役の病院薬剤師らしい。この漫画はテレビドラマ化されて放映されているらしいが、私はテレビをみる習慣がないので、テレビドラマ版については知らぬ。原作漫画は以前に書店でみかけて 4 巻まで買って読んだので、その感想を書く。
総括としては、私は、この漫画は、たいへん良くないと思う。医療者や医療行為について、誤った認識を世間に広めかねないからである。以下、具体的に問題と感じた点を挙げる。
まず細かな問題であるが、第 3 話は、アナフィラキシーショックによる自発呼吸停止状態で救急搬送された患者の話である。ここでは葵も救急外来に行き、初期対応にあたる。この事例では、救急車の到着までに十分な時間的余裕があるのに、救急医と思われるスタッフがマスクをしていないなど、基本的な部分がおろそかにされている。葵も、心肺蘇生中に意味もなく手袋を外し、マスクを下げて鼻や口を露わにしている。感染予防の基本的な態度がなっていない。それを悪い例として示すのではなく、ごく自然な行為であるかのように描かれているのは問題である。もっとも、現実にそうした感染予防の意識や態度が乏しい医療従事者は少なくないようなので、リアリティを出すために、敢えてそう描いたのかもしれない。しかし、それならそのような註釈を加えるべきである。また、第 3 話に限らず一部の薬剤は一般名ではなく商品名で登場している。これも、現実に商品名を連呼する医療従事者が多いことからリアリティを重視したのかもしれないが、果たして素人の読者が、どこまで正確に理解できるだろうか。
第 4 話は HELLP 症候群の患者の話である。HELLP 症候群の病理学的本態はよくわからないのだが、しばしば妊娠高血圧症候群を背景に発症し、溶血 (Hemolysis), 肝逸脱酵素高値 (Elevated Liver enzyme), 血小板減少 (Low Platelets) を特徴とする症候群である。かなり無理矢理な命名であるし、なぜ HELP ではなく HELLP と命名されたのかはよくわからない。今度暇なときに元文献を探ってみようと思う。ともあれ、HELLP 症候群は産科領域で非常に有名な症候群なので、よほど不勉強でない限り、若手医師や助産師でこれを知らないものはいないであろう。
この第 4 話の何が問題かというと、作者にその意図はなかったであろうが、結果的に助産師を侮辱しているのである。この話では、倉本というベテラン助産師が登場する。この倉本が、典型的な HELLP 症候群の患者をみて、「片頭痛だろう」という研修医の診断に対して何の疑問も抱いていないのである。患者が腹痛や「気持ち悪い」「目がチカチカする」と訴えても気づかず、薬剤師に「これヘルプじゃないか?」と言われて、はじめて「!!」と反応している。その後も、帝王切開の準備に動くでもなく、ただ患者のそばで「しっかり!」と言葉をかけている。一年目の助産師ならともかく、ベテラン助産師で HELLP 症候群の典型例に対してこの対応は、たいへん程度が低いといわざるをえない。なお、ここで登場する産婦人科医の林は、話にならないほど水準の低い医師であるが、まぁ、そういう医師は世の中に実在するので、構わない。
最も重大な問題は、第 12 話から第 15 話までの胃癌患者の話である。この患者は、診断時点で既に遠隔転移のある Stage IV の胃癌であり、根治的手術が不可能であった。なお、この診断時点で本人の認知機能に問題はなく、日常生活や飲食店の業務に問題は生じていない。しかし第 4 巻 48 ページでは、カルテの記載として「息子に上記病状を説明。息子の希望で患者には未告知のまま治療開始予定。」とある。実際には紆余曲折の末、本人への告知に息子が同意し、本人も納得した上で化学療法が開始されたのだが、それでも、この事例には 2 つの問題がある。
その 2 つの問題について書こうと思ったが、少し長くなってきたので、続きは次回にしよう。