これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
ヨーロッパ諸国では、COVID-19 対策として政府が講じる諸々の規制に対し反発する抗議行動が行われている。たとえば昨年 8 月に時事通信が配信した記事は、マスク着用が義務化されたのに対し、ベルリンなどにおいて、マスク着用するかどうかは個人の自由である、と反発するデモを伝えている。
日本の報道では、こうした活動の背景にある自由と人権についてよく理解していない記者が多いようで、単に規制に反発している、といった具合に伝えられることが多いように思われる。おとなしくマスクをすれば良いのに、どうして、そこまでして反発するのか、理解できない、と思う者も多いであろう。そうした「理解できない」現象をみたとき、諸君は「自分の理解力が足りない」と考え、理解しようと努めるであろうか。それとも「理解不能な行動をする彼らは馬鹿だ」あるいは「民度が低い」と判断するであろうか。
彼らは、マスク着用そのものよりも、それを国家に強制されることに対し反発しているのである。自由を侵害されたことに対し、怒っているのである。仮にマスク着用が有益であったとしても、なぜ、それを国家に命令されなければならないのか。我々は、国家の奴隷ではなく、むしろ、国家の主人なのである。
人類が「自由」「平等」「人権」という考えを樹立したのは、フランス革命の頃である。人は生まれながらにして自由であり、平等である。貴族とか平民とかいう、生まれに基づく差別は、あってはならない。そうした理想を掲げ、フランス人は王制を廃止した。しかし周辺諸国は絶対王政を維持しており、フランスにおける革命の動きが自国に及することを恐れ、革命政府を認めず、王制への復帰を強く求めた。むろん、フランス革命政府はそうした要求に従わず、ついには戦争が始まった。当時のフランス軍は、地方の富裕層が出資し、農民が武装しただけの義勇兵などで構成されていた。きちんと組織された軍隊は存在せず、強大な隣国であるプロシアやオーストリアと戦えるような状況ではないように思われた。それでも、ほとんどヨーロッパ全てを敵にまわしてでも、彼らは自由と平等を諦めなかったのである。戦争で家族友人を喪い、国家滅亡の危機に瀕しても、なお自由は尊いのだと彼らは信じ、譲らなかった。そうした先人の犠牲の下に、我々人類は自由と平等を獲得したのである。
日本の歴史では、フランス革命のような市民革命は起こらなかった。日本国憲法も、日本人だけでは成立しなかったであろう。GHQ からの「押しつけ」があったからこそ得られた憲法には違いない。外国勢力から押しつけられた、という経過はあまり誇らしいものではないが、しかし、その日本国憲法によって、かつてフランスの先人が確立した自由と平等の概念が日本にもたらされた点は、感謝すべきものである。
感染症の拡大を抑えるためには、確かに、個人の自由を制限することは有効であろう。しかし、それでも自由を制限するべきではないし、憲法もそれを許していない。国家事変の場合にあっても個人の自由は尊重される、というのが、自由の国・日本の憲法の理念なのである。