これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


博士崩れの医学日記 (2021 年度 1)

2021/05/10 人権 (8) --- 身体拘束 [2]

さて、譫妄の医学的定義は前回述べたが、素人にはわかりにくい。そこで不正確だが簡潔に、大雑把に述べれば、患者が周囲の状況を正しく把握できなくなって錯乱した状態、といえよう。医療現場では、患者が錯乱して暴れると危険であるから、患者本人や周囲の人の安全のために、身体拘束を行うことがある。

一方、こうした身体拘束は、譫妄を増悪させる恐れがある。精神医学の名著である Kaplan & Sadock's Comprehensive Textbook of Psychiatry, 10th Ed. (Wolters Kluwer; 2017). では、1108 ページで TAble 10.2-5 Precipitating Factors for Delirium (譫妄を引き起こす要因) としてUse of physical restraints (身体拘束) を挙げている。もっとも、このような重厚な教科書を持ち出さなくても、身体拘束が譫妄の誘引となることは、医師や看護師にとっては常識であろう。

すなわち、譫妄への対策として身体拘束を行うことは医学的には適切ではない。身体拘束は、本当にやむをえない場合に、緊急避難として行う場合に限定すべきである。ところが現実には、看護師をはじめとする医療従事者側の人手不足を理由に、手間を省く目的で身体拘束が行われることがあるのではないか。はたして、これは合法であろうか。

医師や看護師が患者の身体を縛りつける行為は、基本的には監禁罪にあたる。これは刑法第 220 条において「不法に人を逮捕し、又は監禁した者は、三月以上七年以下の懲役に処する。」と定められているものである。医師法その他の法令をみても、医療行為としての身体拘束を特別に許す規定は存在しないので、医療行為だからという理由で刑法第 220 条の適用を逃れることはできない。刑法第 37 条には、緊急避難として「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、これを罰しない。」という規定があるが、これは対象が「現在の危難」に限られている。つまり、現に患者が譫妄を来して暴れている場合にやむをえず身体拘束するならば緊急避難にあたるが、「患者が暴れる『かもしれない』」というだけでは、緊急避難にあたらない。

「そんなことを言っても、現に人手が足りないのだから、仕方ないではないか」と言う者も、いるかもしれぬ。そういう諸君は、重大な勘違いをしている。いったい、いつから、諸君は憲法よりも偉くなったのか。医療従事者としての諸君の業務は、憲法や法律を超越するものではない。仮に諸君の倫理観が身体拘束を許容するとしても、憲法や法律がそれを禁じているのだから、諸君が患者を縛ることは許されない。

諸君の病院では、はたして、譫妄を予防するための方策が尽くされているだろうか。教科書にはイロイロ書いてあるが、実際には業務が忙しくてできない、などと言い訳していないだろうか。業務が忙しいことは、諸君が患者の人権を蹂躙する理由にはならないことを、忘れていないだろうか。

私は、諸君の個人としての責任を問うているわけではない。忙しくて譫妄予防に手がまわらず、身体拘束やむなし、となっているならば、それは病院の診療体制がおかしいのである。看護師などのスタッフ数が足りていないのではないか。そういう場合に、人手が足りないから仕方ない、などと、法や人権を軽視するのは、はたして医療従事者として適切な態度なのか。


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