これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
人権の話の合間に、医学とは直接関係ない話をしよう。
近頃、SDGs という語が流行している。Sustainable Development Goals の略であり、日本語では「持続可能な開発目標」と訳されるらしい。その内容自体は、少なくとも 30 年ほど前から言われていることと大差ない。これが国連総会で決議されたのも 2015 年であるのだが、それが、なぜ、何年か経ってから流行しているのかは、知らぬ。
過日、某所で、この SDGs の説明として「世界のリーダーたちが決めた、2030 年までに世界が達成すべき目標」と説明されているのをみかけた。諸君は、この表現に、違和感をおぼえないだろうか。
「世界のリーダーたち」という表現は、この SDGs を含めた「持続可能な開発のための 2030 アジェンダ」を採択した際に国連開発計画 (UNDP) 駐日代表事務所が発表したプレスリリースに登場している。具体的に誰を指しているのかは明記されていないが、国連あるいは国連開発計画 (UNDP) のことであろう。
我々は、いつのまに、国連に率いられるようになったのだろうか。いつのまに、国連は世界の目標を決定できる立場になったのだろうか。
諸君は、独立した自由な人間である。諸君がどう生きるか、諸君がどう行動するかは、ただ諸君の意志のみによって決定される。世界を変えようとする者が、他人に対し、目標を提案することはできる。しかし、ある目標を「達成すべき」などと決める権限は、何人も有さない。「世界のリーダーたちが、世界が達成すべき目標を決めた」と聞いて疑問を抱かない者がいたとすれば、その者は、精神の独立を失っている。
遺憾なことに、そういう独立した精神を喪いかけている者が、今の日本には少なくないのではないか。政府が緊急事態宣言なるものを唱えたから外出を自粛しようとか、ワクチン接種が推奨されているから従おうとか、どうして、他人に判断を委ねるのか。
なお、この SDGs だとか、持続可能な社会だとかいう言葉に関連して、世間にはマヤカシが多い。たとえば、水素を燃料電池や水素エンジンなどで使うことが二酸化炭素削減に有効であるかのように主張する人々がいるが、水素をどのように作るのか、という点は、あまり議論されない。おそらく、水素の製法にまで思慮が及んでいないのではなく、敢えて、議論を避けているのではないか。化石燃料を使って水素を作るのでは、二酸化炭素の放出は避けられない。原子力を使って発電し、その電気から水素を作るならわかるが、電気をそのまま利用するのと水素に変換して利用するのでは一長一短であり、どちらが良いとも一概には言えぬ。また、太陽光発電を推奨する者もいるが、太陽光発電のための半導体は、どのように作るのか。資源としてのシリコンは、はたして無尽蔵なのか。シリコンの精錬に、どれだけのエネルギーが必要なのか。
黙ってリーダーの方針に従うのは、簡単である。