これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
本記事は転載を認めない。「こんなことを述べている医師がいた」などと断片的で不正確な情報が流布されると、社会全体にとって有害だからである。本記事を紹介したい場合にはこちらへのリンクを利用されたい。
人権の話はまだ続くのだが、一旦、別の話をしよう。最近話題の mRNA ワクチンについてである。なるべく素人にもわかるように書くので、生化学や免疫学の基礎を修めた人には退屈な部分もあるだろうが、ご容赦いただきたい。
SARS-COV-2、いわゆる新型コロナウイルスに対するワクチンとして、初めて mRNA が臨床的に使用されることになった。詳細はよく把握していないが、この mRNA ワクチンについて、一部で不正確な情報が飛び交っているらしい。Wikipedia によると、mRNA ワクチン投与によって DNA の変異を来す、というような荒唐無稽な噂まで流れたらしい。その一方で、mRNA ワクチンの安全性や有効性を過度に強調する情報も流布されているように思われる。
先に結論を述べておくと、私は mRNA ワクチンが安全であるとは思っていない。従来のワクチン接種は、毒性の弱いあるいは無い物質を使って、通常の感染過程を模擬するものである。従って、ワクチン接種による有害事象は、ごく稀な事例を除いては、真の病原体への感染に比べればかなり軽度である。一方、mRNA の接種は、通常の感染過程では起こらない現象であって、従来型ワクチンや通常の感染では生じないような有害事象を惹起する恐れがある。
我々の細胞は、核の中に DNA として遺伝情報を蓄えている。もう少し詳しく言えば、DNA は四種類の核酸が連結されたものであり「どの核酸がどのような順番で連結されているか」という形で情報を表現しているのである。この「核酸」というのは「塩基」と呼ばれることもあるが、厳密には「デオキシリボースの骨格に塩基がついたもの」が連結されているのであり、塩基そのものが並んでいるわけではない。この「どの核酸がどのような順番で連結されているか」のことを、生化学では「塩基配列」と呼んでいる。核の中では、DNA の塩基配列を元に、RNA が合成される。この RNA 合成のことを我々は「転写」と呼んでいる。RNA も四種類の核酸が連結されたものであり、その塩基配列によって、DNA とほとんど同じ遺伝情報を表現している。RNA にはいくつかの役割があるが、そのうち「どのような蛋白質を合成するか」という情報を蓄えている RNA のことを messenger RNA と呼んでいる。ただし「messenger RNA」とイチイチ長い名前を呼ぶのは面倒なので、mRNA と略されることが多い。この mRNA は核の中から細胞質へと移動する。そしてリボソームと呼ばれる細胞内小器官において、mRNA の塩基配列を基に、蛋白質が合成される。この蛋白質合成のことを生化学者は「翻訳」と呼んでいる。
なぜ、生物が進化の過程において、DNA と RNA という二種類の核酸を使い分けるようになったのかは、はっきりしない。核の中で「保存用 DNA」と「翻訳用 DNA」の二種類を作っても良さそうな気がするのだが、それだと用済みになった「翻訳用 DNA」を破壊する際に、誤って「保存用 DNA」を壊してしまう、という事故が起こりやすいのかもしれぬ。そこで DNA と RNA を使い分けることで事故防止に成功した細胞が、我々の祖先なのだろうか。
さて、mRNA ワクチンは、脂質二重層から成る小胞などに mRNA を容れて人体に投与することで、mRNA を細胞内に送り込むものである。この mRNA は、リボソームにおいて翻訳される。mRNA の塩基配列が適切であれば、翻訳によってウイルス特有の蛋白質が細胞内で産生され、さらに細胞外へと分泌される。従来型ワクチンではウイルス特有の蛋白質そのものを投与するのであるが、mRNA ワクチンの場合は、ヒトの体内でウイルス特有の蛋白質が生成されるのである。ひとたびウイルス特有の蛋白質が合成されると、それを標的とする抗体が産生されるであろう。そうした抗体があれば、いざ本当のウイルスが体内に侵入したとき、これを速やかに排除できると期待される。従って、予めワクチンを接種しておけば、ウイルスに感染しにくい、または感染しても軽症で済むと期待されるのである。
なお、この「ウイルス特有の蛋白質」のことを世間では「ウイルス抗原」などと呼ぶことも多いが、「抗原」という語の本来の意味を考えると、あまり正確な表現ではないように思われる。従って、本記事では、いささか冗長ではあるが「ウイルス特有の蛋白質」という表記を用いる。
長くなってきたので、続きは次回にしよう。